アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

2015-01-01から1年間の記事一覧

「人智学、その本質および哲学的根拠について」 ベルン 1920年(大正9年)7月8日;独逸語の勉強 #43

Aber was nützt es, solche Dinge unausgesprochen zu lassen, wenn es doch gerade auf sie ankommt ? しかし、 このようなことが、 人智学によって判明したというのに、 それを公言しないことにどのような有益性があるでしょうか?Derjenige, der heute hi…

『”近代合理主義者”による人種・宗教・文化差別ーエルネスト・ルナン』(パンカジ・ミシュラ「アジア再興ー帝国主義に挑んだ志士たち」)

エルネスト・ルナンは一八八三年三月、『ジュルナル・デ・デバ』という新聞によく寄稿していたパリ在住のアラブ人亡命者の紹介で、アフガーニーに会った。のちにルナンはこう書いている。「かくも強烈な印象を残した人物というのはめったにいない。」二人の…

スーツバッグの中で機中をすごした同僚の夢

出張でスーツを携行するときなどに使うスーツバッグのようなもののなかで機中をすごした同僚が、死の寸前にクルーに発見され、一命を取り留めた。よく生きていたものだ。自分がそうであったらと考えただけで息苦しくなってくる。スーツバッグに身を縮ませて…

「人智学、その本質および哲学的根拠について」 ベルン 1920年(大正9年)7月8日;独逸語の勉強 #42

Wer weiß, was eine gestörte Erinnerung für die Kontinuität der Ichs bedeutet, 記憶障害が自己の連続性にとって何を意味するかを知っている人は、wer weiß, daß dieses Ich beruht auf der Kraft des ungestörten Gedächtnisses, この自己が、損なわれて…

独逸語の勉強

Sein Garten war ziemlich groß.彼の庭はかなり大きかった。 #独逸語 Ich bin mit der Arbeit ziemlich fertig.私は仕事をほぼ終えている。Komm mal her !ちょっとおいで!Hör mal ! ねえ、聞いて!Ich habe ihn schon mal irgendwo gesehen.私は彼を以前ど…

この意志は私を私と同類のあらゆる有限的存在者と結合させる (フィヒテ)

この意志は私を私自身と結合させる。 この意志は私を私と同類のあらゆる有限的存在者と結合させる、 従ってわれわれすべての間の普遍的媒介者である。見えざる世界は多くの個々の意志の世界ないしは体系である限りは、 多くの自立的独立的意志相互のかの合一…

一つの意志、この意志は自己自身において法則である。(フィヒテ)

・・・なんとなれば ー次のことが實に私の信仰の内容だからである。 ー私の意志は端的に自己自身によって、その表現を弱めるいかなる道具も用いずに、それと全く同種の領域において、理性として理性に、精神的なものとして精神的なものに、作用すべきである。…

ヨーロッパ近代文明というのは、その擁護者たちの主張通り、本當に「普遍的」で「自由」なのか? 

梁啓超や漱石やタゴールのような思想家にとって、西洋の挑戦は実存的問題であるばかりか地政学的問題でもあった。昔ながらの方法と西洋が提示する新しい方法の、長所短所は何なのか? さらにはヨーロッパ近代文明というのは、その擁護者たちの主張通り、本當…

戦争はなんでも真っ黒よ(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」)

それから、ね、こうも思う・・・・ 考えてもみて! 戦争はどれだけ続いたか? 四年間よ。とても長かった・・・・・。 でも小鳥一羽、花一つ憶えてないわ。 もちろん鳥はいたし花もあったんだろうけど、憶えていない。 そう。不思議よね。 でも、戦争の映画で…

「人智学、その本質および哲学的根拠について」 ベルン 1920年(大正9年)7月8日;独逸語の勉強 #41

Wir erlangen erst die intellektualistische Durchsichtigkeit auf den Wegen, die ich heute geschildert habe. われわれは、 まず、 私が今日お話し致しましたようなやり方で、 知的に透明な見通しを獲得します。Der Mensch ist eben so organisiert, 人…

黄金律

同情も慰めも不在の荒野を彷徨う 傷ついた犬の幻を追って 実在しない老婆が教える泉の水を飲んでしまう 行方知らずの娘は洞窟の老婆? 時間と経験の洞窟で死んだ老婆はデンマークの城で目覚める 新しい少女として 犬だけが傷を負ったままだ 荒野の父は過去に…

「人智学、その本質および哲学的根拠について」 ベルン 1920年(大正9年)7月8日;独逸語の勉強 #40

Könnten wir nämlich immerzu hineinschauen in die Dinge der Welt, つまり、 もしも、 われわれが常に世界の物事を見透すことができたとすれば、sie gleichsam intellektualistisch durchsichtig machen, also auch den Menschen, われわれは、 人間をも、…

意志=見えざる虗藭の国全体を貫く諸結果の連鎖の第一項 (フィヒテ)

・・・ これによって永遠の世界はより明るく私の前に出現する。 その秩序の根本法則は私の虗藭の目の前に明瞭である。 永遠の世界においてはただ意志のみが、 この意志は私の心の隠れたる暗闇にあってあらゆる死すべき目には閉ざされているが、 見えざる虗藭…

”それ”が地上的世界の目的のために役立たないことは明らかである。従って超地上的世界が存在しなければならない。(フィヒテ)

・・・ 否、私は生きかつ存在している限り、道徳法則の声に服従することを拒むつもりはない。私はただそれが命ずるがゆえにそれに服従するのだ。この決意は私の精神における第一のもの、最高のものであり、他の一切はこれに従うものであるが、これ自身は他の…

ペラギウス派による原罪の否定「アダムは最初から死すべき者として生まれたのである」

ペラギウスによれば、人間は自由なものとして創造された。 彼は思いのままに善をなすことも、悪をなすこともできる。 この自由は、すなわち神からの自立である。 「人間がそれによって神から自立した意志の自立性とは、罪を犯すことと罪を避けることの可能性…

嘘について

書くことは世界から孤立した事象であって、書かれたことそれ自体にしか勝利も救いも無い。言葉と宇宙の等価性。今やだれがそれを信じるというのか? ロゴスの孤独。自らそれを引き受けること以外に栄光は無い。数学も哲學も”言葉”で世界をつかまえようとする…

「人智学、その本質および哲学的根拠について」 ベルン 1920年(大正9年)7月8日;独逸語の勉強 #39

Da mußte denn von mir, それではここで私自身についてお話ししなければなりません。ich muß das schon sagen, これだけは述べておかなければならないのです。durch Jahrzehnte hindurch ein hartnäckiger Kampf geführt werden gegen den Kantianismus - ei…

「人智学、その本質および哲学的根拠について」 ベルン 1920年(大正9年)7月8日;独逸語の勉強 #38

Meine sehr verehrten Anwesenden, 敬愛するご臨席のみなさん、was so als Wesen der Anthroposophie geschildert werden darf, kann man in einem gewissen Sinne durchaus auch philosophisch rechtfertigen. このように人智学の本質として表現されるべき…

シュタイナー批判と反批判

メンション失礼します。論旨がよく分かりませんが、シュタイナーに関心の深い自分は、あなたのツイート(RT)に触発されて、いくつかツイートしました。誤解と失礼があるかも知れません(恐らくあるでしょう!)。よかったらお読み下さい。 https://t.co/E…

ウィトゲンシュタイン「大洋に浮かぶ小島について」

「論理哲学論考」の中国語訳。日本語版の刊行は1968年だが、中国語版は1927年に出ている。 pic.twitter.com/wujeXuK0KB— armchair anthroposop (@longtonelongton) 2015, 10月 28 ウィトゲンシュタインはこの(ウィーン)學団の人々と会う以前から、この學團…

青い妖精の池 (ハイネに捧げる)

巨人はロリータを肩に乗せて歩き始めました。「白鳥の乙女よ。 決してその羽衣を無くさないでください。 あなたたちに風が必要なように、 わたしには眠りが必要だ。」巨人は深い眠りの池に向かって歩いて行きました。 青い妖精たちの棲む池です。「いいえ。 …

福音 第二稿

S博士によれば人間が靈感を受けられる期間は一月のうちの半分にすぎないと言う。ぼくはすでにその半分を逃したようだ。自分を追い立てる情熱の正体も分からなくなってしまった。たとえば”四本の手のためのピアノソナタ”。モーツァルトなら、躊躇することもな…

「人智学、その本質および哲学的根拠について」 ベルン 1920年(大正9年)7月8日;独逸語の勉強 #37

Weil ich einmal mit meinem Sinn,mit meinem Verstande und Gemüte und mit meiner Empfindung bei diesem Lebensereignis war,kann ich es mir hervorzaubern. かつて、 私が、 この人生の出来事を、 私の感覚と、 私の理性と、 私の心情と、 私の感情をも…

福音

S博士によれば人間が靈感を受けられる期間は一月のうちの半分にすぎないと言う。私はすでにその半分を逃したようだ。自分を追い立てる情熱の正体も分からなくなってしまった。たとえば”四本の手のためのピアノソナタ”。モーツァルトなら、躊躇することもなく…

「人智学、その本質および哲学的根拠について」 ベルン 1920年(大正9年)7月8日;独逸語の勉強 #36

Diejenigen haben es leicht, meine sehr verehrten Anwesenden, die über ein solches Buch lachen, 敬愛するご臨席の皆さん、 このような書物を嘲笑することは容易でしょう。weil sie nicht durchschauen all die Mühe, die da aufgewendet, all die Wege,…

聖アウグスティヌスとネオプラトニズム ーロゴスが肉となって、私たちのなかに宿った

「わたしは悪がどこからくるのかを探して、そこから抜け出せなかった。」 「私は真理を発見することなく、死の怖れによってさいなまれていた。」聖アウグスティヌスが「信仰」とともに求めていたのは真理であり、教義と共に形而上学であった。そしてそれとと…

「人智学、その本質および哲学的根拠について」 ベルン 1920年(大正9年)7月8日;独逸語の勉強 #35

Dieses Durchschauenlernen der menschlichen Natur, この人間の本質を見抜く學は、meine sehr verehrten Anwesenden, 敬愛するご臨席の皆さん、dieses unmittelbar konkrete, empirische Verbinden des Geistigen mit dem Materiellen, このように直接的、…

「人智学、その本質および哲学的根拠について」 ベルン 1920年(大正9年)7月8日;独逸語の勉強 #34

Licht und Schwere, 光と重さ、Licht und Gravitation sehen wir miteinander im Kampfe 光と重力が互いに闘争していることを、 われわれは見るのです。 - das kosmische Licht, die kosmische Gravitation ist im Menschen wirksam bis zum Zahnwechsel hin…

感情の観念論ープロティノス「魂は罪を犯しえない。ではどうして罰があるのか?」

・・・プロティノス的綜合はキリスト教思想に対し、ある教義を(ある人びとの言うように)提供するのではなく、一つの方法、一つの物の見方を提供するのである。そしてプロティノスの体系を活気づけるのは神への情熱である。けれどもまたプロティノスはギリ…

「人智学、その本質および哲学的根拠について」 ベルン 1920年(大正9年)7月8日;独逸語の勉強 #33

Jetzt lernt man erkennen, 今やわれわれが認識するようになることは、wie dasjenige,was gewissermaßen die Zahne heraustreibt, 歯に対して、 言うなれば、 生えるように追い立てるもの、was im menschlichen Organismus arbeitet, 人間有機体において働い…