アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

福音(第三稿)

1S博士によれば人間が靈感を受けられる期間は一月のうちの半分にすぎないと言う。ぼくはすでにその半分を逃したようだ。自分を追い立てる情熱の正体も分からなくなってしまった。たとえば”四本の手のためのピアノソナタ”。モーツァルトなら躊躇することもな…

音楽(第二稿)

夜更けになると音楽が美しく聞こえるようになるのは何故だろう もはやぼくたちには星さえ残されていないのに 眠ることが許されない夜神様の宿題を 思い出すまでは 眠ってはいけない蜻蛉の羽の生えたエンゼルが眠りに落ちた私のかわりに思い出す 死んだ女のこ…

コペンハーゲン(第三稿)

遅い、遅れてきた中性子 リアリティの賛美=光と絶望的光景=陰の両極間を連続的に反転し続けるモーターのようなもの 言葉は空虚な事件であることを認める真犯人としての音楽家 見えない 夏の花 純粋な観測者なんてありえない (という現代物理学の常識) 同…

コペンハーゲン(第二稿)

遅い、遅れてきた中性子 リアリティの賛美(光)と絶望的光景(陰)の両極間を連続的に反転し続けるモーターのようなもの 言葉は空虚な事件であることを認める真犯人としての音楽家 見えない 夏の花 純粋な観測者なんてありえない (という現代物理学の常識…

コペンハーゲン(第二稿)

遅い、遅れてきた中性子 リアリティの賛美(光)と絶望的光景(陰)の両極間を連続的に反転し続けるモーターのようなもの 言葉は空虚な事件であることを認める真犯人としての音楽家 見えない 夏の花 純粋な観測者なんてありえない (という現代物理学の常識…

コペンハーゲン(第二稿)

遅い、遅れてきた中性子 リアリティの賛美(光)と絶望的光景(陰)の両極間を連続的に反転し続けるモーターのようなもの 言葉は空虚な事件であることを認める真犯人としての音楽家 見えない 夏の花 純粋な観測者なんてありえない (という現代物理学の常識…

シュタイナー講演録『人間の魂と動物の魂』1910(明治43)年11月10日#15

Der Menschen fragt so leicht, man möchte sagen, in seinem universellen Hochmut: Was habe ich vor den Tieren voraus ? われわれはあまりにも気楽に、 自分でも気づかないくらいの思い上がった気持ちで、 「人間はどの点で動物よりも優れているだろう?…

「コペンハーゲン」

遅い、遅れてきた中性子 リアリティの賛美(光)と絶望的光景(陰)の両極間を連続的に反転し続けるモーターのようなもの 言葉は空虚な事件であることを認める真犯人としての音楽家 見えない 夏の花 純粋な観測者なんてありえない (という現代物理学の常識…

シュタイナー講演録『人間の魂と動物の魂』1910(明治43)年11月10日#14

Und wir sehen auf die verschiedenen Tiere verteilt sozusagen dieses innerliche geistige Wirken, sehen es in den Geschicklichkeiten der einzelnen Arten hervor. そしてわれわれは、 動物の種類に応じて割り当てられたこの内的な靈の働きと言うべき…

驟雨(第二稿)

夏の雲の形をした激しい悲哀が 世界を包んだ すべて形無きものは虚しい あなたの悲しみには意味がある それは死せる都市に繁茂する 植物たちのように あなたの地下に埋もれた 祈りと欲望を 覆い隠してしてしまう *夜は その白い顔を 美しく隠す かえしたて…

夏(第二稿、「夏に寄せて」改題)

ベートーヴェンの謹厳な面持ちで目が醒める 夏の朝 饒舌な光 水蒸気の遠近法 ブルース・スケールを拾って歩く 雲の階梯 正午の影を踏む ヨハネス・ケプラーの頬笑み 逃げ水の涙は盬辛い 鸚鵡貝の唇 泥蝉の幼生 の老いた背中を割り 抜け出てくる 死美人の晴れ…

夏 (「夏に寄せて」改稿)

ベートーヴェンの謹厳な面持ちで目が醒める 夏の朝の偉大さ 水蒸気の遠近法 その饒舌な光 ブルース・スケールを拾って歩く 雲の階梯 ヨハネス・ケプラーの微笑み 正午の影を踏む 逃げ水の涙は盬辛い 鸚鵡貝の唇 泥蝉の幼生 の乾いた背中を割り 抜け出てくる …

声(第四稿)

「声がする。あなたの弟の血が大地からわたしに叫んでいる。」この一日に終わりは来ないだろう 陽は垂直に上昇し再び帰らないだろう 明け染める紅は東天の栄光を返上するだろう 日も月も年も円環の巡りを放棄するだろうもう肩車もできない ぼくは こどもたち…

シュタイナー講演録『人間の魂と動物の魂』1910(明治43)年11月10日#13

So sehen wir förmlich, was der Mensch im Kampf ums Dasein aus seiner Intelligenz herausfließen läßt, in aller Lebendigkeit aus dem tierischen Organismus heraussprießen. このように、 動物有機体が生み出すあらゆる生命活動、 そして、 それが人…