アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

コペンハーゲン(第二稿)

遅い、遅れてきた中性子
リアリティの賛美(光)と絶望的光景(陰)の両極間を連続的に反転し続けるモーターのようなもの
言葉は空虚な事件であることを認める真犯人としての音楽家
見えない
夏の花
純粋な観測者なんてありえない
(という現代物理学の常識)
同時代人としての運命
津波は浅くても恐ろしい足元からすくわれる

今そこにあるおまえの武器を取れ!
オレの勇気にはびっしりハエがたかっているがそれがどうした?
この黒い呪詛の塊を投げつけろ!
敵の攻撃が止んでいる隙に武器を取れ!
そして匍匐前進

燃えきらなかった紙の束みたいな詩に火をつけて暖を取る
破壊胎の聖母
ドラゴン・レディの丸太
聖母竜女
幼子イエス肩車して丸太に乗り流されていく聖渋谷三軒茶屋
水没都市
死者とは未来のことか!
死者=未来のモナドたちの表現の欲求とは過去である
現在は底が見えない深淵=断絶であってしかしそれが存在していることは確実だ(とわれわれは信じている)
過去への壮大なジャンプを試みるわれわれは絶えず現在の深淵に落ちてしまうことが宿命づけられているので
現在を所有しない未来のモナドたちにのみ過去は現れる
それはもはや人間的尺度では測り得ない何か
「世界をどう動かすべきかを神に指図することはわれわれの課題ではありません」

「湧水に群がるエビたちの運動は人間から見れば後退しているようにしか見えないがかれらはそのようにしか前進することができないのである。否、かれらには後退が無い! それは後退しかできないもののみがたどり着くことのできる水源に向かう運動だった。」

   *

「真相」を思い出そうと懸命に闘う三人の死者たち。段田安則=ハイゼンベルグは「ウラン235の中性子吸収断面積は・・・だとすると平均自由行程が・・・。!」と絶句して、自分が(簡単な推算を見逃したばかりに)原爆製造が不可能だと勘違いしていたことを悟る。ハイゼンベルグの原子炉には制御棒(カドミウム)が無かった。そのことを繰り返し指弾するボーア=浅野和之。もし彼の(疎開先の)原子炉が臨界に成功していたら、ハイゼンベルグは死んでいたという狂気(ハイゼンベルグの狂気=死との遊戯はスキー小屋の回想にも表現される)。そのとき、二十世紀物理学は人類の経験しうる恐怖の臨界に到達しようとしていた。ハイゼンベルグは、文字通り、その臨界発現(原子爆弾)の実際的な可能性を(頭ごなしに)否定することで、無意識裡に倫理的責任を回避していたのか(フロイド的エラー)? ニュートン以来の科学革命を達成した二十世紀物理学の巨人たちの手は、血以上の何かで汚れている。それはほとんど神話的であると言って良いくらい、否、神話ですら語り尽くすことのできない何かで。そのことの痛切さは、しかし、当人たちにすらまだ気づかれていないのではないか? それはもはや人間的尺度では測り得ない何か。(次の)洪水の予感に打ち震える(われら)。それにしても、ボーアの「拡散方程式は解かなかったのか?」というハイゼンベルグへの執拗な問いの(あまりにも技術的であることの)悲しさ。制御棒の無い「ハイゼンベルグの原子炉」が、彼の性格(死と戯れつつ最短ルートを直滑降で滑り降りるスキー)によるものでは無く、科学者としての倫理とドイツ国民としての義務の両者を成立させるための計算され尽くした仕掛けであった(という解釈)。はたしてハイゼンベルグという人間のもつ両極性(異常なまでに緻密な計算と死と戯れる大胆さ)は彼の人生を(ヨーロッパの歴史を)救済し得たのか?