アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧

狐霊十三丸の話

Q. ベートーベンのおじさんに会ったときのことを教えてください。 A. ベートーベンのおじさんにお会いしたのは、ハンスシュタイン君(注:ドイツの天使)とお友だちになったころだったような気がします。カントのおじさんとお話ししているときでした。カント…

"自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録(質疑#3)を読む独逸語の勉強#3

Und ich glaube allerdings, daß noch sehr vieles überwunden werden muß, bis in breiten Kreisen für die Geisteswissenschaft so etwas eintritt, wie es damals durch die kopernikanische Weltanschauung eingetreten ist gegenüber allen früheren Vo…

魔法の夢

周りにたくさんの人がいる。昼間である。人々の衣服は白っぽく、地面が黒い。私は右の掌を上に向けて眺めている。すると、指先から白っぽい煙のようなものが、渦を巻きながら現れた。その尖端が虹色の炎に変わった。そしてその炎の上に、白っぽい分子模型が…

カント「純粋理性批判」第二版序文より「道徳について」

ところで、 次のように仮定してみよう。 すなわち、 道徳は必然的にわれわれの意思の特性としての自由(もっとも厳密な意味での)を前提とする、 と。というのは、 道徳はわれわれの理性の中にある実践的で根源的な原則を、 自由のアプリオリなデータとして…

「時間と空間は感性的直観の形式にすぎず、 したがって現象としての物が実際に存在するための条件にすぎない」カント

時間と空間は感性的直観の形式にすぎず、 したがって現象としての物が実際に存在するための条件にすぎない。われわれは、 対応する直観が与えられうるかぎりでしか、 知性概念をもちあわせていない。したがって、 それを超えて物を認識するどのようなエレメ…

"自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録(質疑#3)を読む独逸語の勉強#2

Ich bin davon ausgegangen, daß das erlebende Bewußtsein erst da ist. 私は、まず、 私が述べたように経験できる意識の存在を前提にしているのです。Und so wie derjenige, der nicht eine Raumesanschauung hat, vom Pythagoreischen Lehrsatz nicht red…

私の意識の感覚領野においては、 いかなる対象も同時に物理的でありかつ心理的である。(マッハ)

・・・ 感覚する主体にとっては、 光の感覚は初めから一定の空間感覚と結びついているのであるから、 そもそもそうい問題(注:網膜上の倒立像がなぜ正立して見えるのか)は存在しない。視感覚および蝕感覚はさまざまな空間感覚と結びついている、 すなわち…

"自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録(質疑#3)を読む独逸語の勉強#1

Frage: (質問)Wenn Dr. Steiner mir nur einen Punkt der Geisteswissenschaft so beweist, wie die Lehre des Pythagoras bewiesen werden kann, dann folge ich ihm gerne, dann ist es Wissenschaft. もしシュタイナー博士が霊学の一部ででも用いてピタ…

"自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録(質疑#2)を読む独逸語の勉強#25

Ich bitte, meine Worte nicht so aufzufassen, als hätte ich dem, was der verehrte Herr Vorredner gesagt hat, ausweichen wollen. どうか、 私の述べたことが、 敬愛する先ほどの方のご発言をはぐらかそうとしたものではないことを、 ご理解ください。N…

"自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録(質疑#2)を読む独逸語の勉強#24

Habe ich Ihnen heute einzigen Indischen Ausdruck gebraucht? 今日、私は、ひとつでもインドに由来する表現を用いたでしょうか?Und wenn irgend etwas manchmal dadurch bezeichnet wird, daß man irgendeinen alten Ausdruck gebraucht, so ist das eben…

大田洋子「屍の街」

河原の人たちの軽傷者は、 たれもかれも河へ行って洗い物をしはじめた。 河原には家庭生活の単位のようなものが形づくられて、 どん底という思いではなく、 簡易生活がごく自然に営まれているのである。 けれども、 一刻も早くここを退きたいと思った。伝染…

青い光

「私は蚊帳のなかでぐっすりねむっていた。八時十分だったとも云われ、八時三十分だったともいうけれど、そのとき私は、海の底で稲妻に似た青い光につつまれたような夢を見たのだった。」 アインシュタインによれば 質量の無い者は光速で走るという ただ一つ…

思考のうちにのみ客観と主観の真の一致があって、 わたしは思考だといえる。 ー ヘーゲルによるアリストテレス”形而上学”講義

アリストテレスが対象を思考し、 対象が思想として存在するにいたるとき、 対象は真の存在となる。 それが対象の本質です。といっても、 自然の対象がそれ自体、 思考として存在するというのではない。対象はわたしによって主観的に思考され、 そして、 わた…

思想上の記号・仮想上の問題・本能的な考え方でしかない「自我、精神、物体、物質」はすべて”感覚複合体”に呑み込まれる。「感覚の分析」マッハ

物体が感覚を産出するのではなく、 要素複合体(感覚複合体)が物体を形作るのである。 ☆物理学者にとっては物体が、 持続的なもの、 現実的なものであるように見え、 これにひきかえ、 「要素」はこの物体の流動的なはかない仮象であるように見えるので、 …

しからば若し総ての[個別的なる]ものの上に或る一つの[普遍的なる]ものがないとしたならば、 知識は如何にしてあり得るであろうか・・・。 アリストテレス「形而上学」

なほ若し質量に何等かの賓辞的規定を加へた場合たる具體的個體を離れて何ものかが確かにあるとし、 事實それがある場合、 あらゆる事物にその事物を離れて何ものかがあるべきか、 或は或る事物にはそのものを離れてそれがあり他の事物にはそのものを離れてそ…

"自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録(質疑#2)を読む独逸語の勉強#23

Gewiß, jeder kann das nachprüfen. 勿論、だれにでも、そのことを確認することは可能なのです。Und ich habe nie etwas anderes behauptet, der da will, geradeso die geisteswissenschaftliche Methode kennenlernen kann, wie er die Methoden der Chemi…

「永遠の天界・思考の神性について」ヘーゲルによるアリストテレス”形而上学”講義

しかし、 本当の原理は「思考」にある。 「思考は思考によってのみ動かされる」のだから。思考が対象をとるので、 思考こそがものを動かす不動の存在なのです。と言っても、 思考の内容は思考にほかならず、 思考の産物にほかならず、 かくて、 不動の思考は…