アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

2012-12-01から1ヶ月間の記事一覧

トビト記14.14-15

トビアは百十七歳の天寿を全うした。彼は死を迎える前に、ニネベの町の滅亡を見聞きしたのである。また、メディアの王キアクサレスが捕らえてメディアに連れて来た、ニネベの捕虜たちの有様をも見た。ニネベとアッシリアに対して神がなされたすべての事のゆ…

トビト記 8.1−3

一同は食事を終え、やがて床に就く時間となった。 そこで人々は、トビアをサラの待つ部屋に連れて行った。 トビアはラファエルの言葉を思い出し、魚の肝臓と心臓を袋から取り出し、香を焚いてその上に置いた。 魚のにおいが悪魔を追い払い、悪魔はエジプトの…

世襲議員キチガイ殿様説

ぼくの世襲議員キチガイ殿様説は正しいと云うことですね。@motonosuke0328 自民党は堂々と推進しますよ。悪の本態を目撃することになるでしょう。原発を止めれば経済が崩壊する…このひと言が、国民と各支持基盤で十分に通用するのです。もう、実績は作りまし…

無力こそ力なり

シュタイナーは、地球の中でも、特にロシアの大地は、天からの霊的な光が降り注いでいる地域なのだと語った。ロシア人は、特に農民は、そのロシアの大地への強い愛を持つ。ラスコリニコフも大地に接吻して改悟する。偉大なり、ロシアの大地。チェルノブイリ…

夫れ壓制せらるべき階級なく、 或階級の支配なく、 個人の生存競爭なきに至らば、國家と名くる壓制的權力も亦必要なからん

カール・マルクスと俱に所謂獨逸科學的社會主義の祖師と稱せられたるフリードリヒ・エンゲルス曰く、『夫れ壓制せらるべき階級なく、 或階級の支配なく、 個人の生存競爭なきに至らば、國家と名くる壓制的權力も亦必要なからん、 而して之に代て起る者は、 …

キチガイ殿様とプルトニウム教ーここ二・三日の記録

今日(26日)は、久しぶりに東京に出た。ディープ新橋、ブレードランナーみたいに、レプリカントを追って走りました。秘密結社の会合は昔から飲み会で始まる。メーソンもそうだった。太平洋戦争前後の日本の運命におけるメーソンの動きを活写した徳本栄一郎…

彼等の希望は人をして人を支配せしむるに非ず、 人をして物を支配せしめんと欲すれば也

如此にして社會主義は、 深く現時の國家の中央集権の害毒に懲りて、 地方分權を主張するに至るは自然也、 彼等は人民の事業をして人民に行はしめ、 若くは人民に依って行わしめ、 若くは人民に近しめんが爲に多くの公務を中央政府の手より奪ふて地方の自治團…

マラキ書 3.23-24

見よ、わたしは 大いなる恐るべき主の日が来る前に 預言者エリヤをあなたたちに遣わす。 彼は父の心を子に 子の心を父に向けさせる。 わたしが来て、破滅をもって この地を撃つことがないように。

マラキ書 3.1-3

見よ、わたしは使者を送る。 彼はわが前に道を備える。 あなたたちが待望している主は 突如、その聖所に来られる。 あなたたちが喜びとしている契約の使者 見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。 彼の現れるとき、…

ゼカリヤ書 9.9-10

娘シオンよ、大いに踊れ。 娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。 彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。わたしはエフライムから戦車を エルサレムから軍馬を絶つ。戦い…

"Das Verhältnis der Anthroposophie zur Naturwissenschaft - Grundlagen und Methoden" "自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録を読む独逸語の勉強#20

前回の続きーSo also ist das, was gewissermaßen als ein erstes Ausgangserlebnis dasteht, etwas, was nicht durch eine gradlinige Fortsetzung der gewöhnlichen wissenschaftlichen Methoden gewonnen wird, sondern nur durch eine Metamorphose, nur…

トポロジー

冬のなかには春が 春のなかには夏が夏のなかには秋が 秋のなかには冬が血の中には骨が 骨のなかには血が愛のなかには憎しみが 憎しみのなかには愛が出会いのなかには別れが 別れのなかには出会いが善のなかには悪が 悪のなかには善がわかるのなかにはわから…

"Das Verhältnis der Anthroposophie zur Naturwissenschaft - Grundlagen und Methoden" "自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録を読む独逸語の勉強#19

前回の続きーUnd dasjenige, was noch in einer gewissen Weise, wenn wir durch die Geburt ins physische Dasein getreten sind, diese Furchen verändert, das ist es auch, was heruntersteigend aus geistigen Welten überhaupt die Arbeit verricht, d…

基督抹殺論

秋水最後の仕事はキリストの抹殺だった。 獄中で逃れようのない死を前に、 一度は信じようとしたキリストの殺害を秋水は企てた。 秋水は世界思想的弑逆者として死ぬことを選んだ。 彼は果たしてキリストと刺し違えることができたのだろうか?

ヘーゲル「哲学史講義」 B.ソクラテスの哲学 三.ソクラテスの運命

個人の主観性を原理とし、個人のみちびきを仕事とするアテネ市民たらんとしたソクラテスは、その人格からして全アテネ市民を、ー多数の市民や有力な多数民のみならず、アテネ国民の精神を、ー相手とせざるを得なかった。アテネ国民の精神そのもの、その体制…

ヘーゲル「哲学史講義」 B.ソクラテスの哲学 二.善の原理 その4

さて、善が思考の目指す目的ですが、善をめざそうとすると、さまざまな義務が衝突する。国家の掟や慣習や生活の現実によって決着のつくこともありますが、ソクラテスの場合のように、知が自由に自立して正義や善の内容を決めるようになると、共同体の決まり…

三人の女性の夢

小さなテーブルを間に挟んで、三人の女性と向き合っている。冬の装い。右の人はツイッターでは知っているが、実際には会ったことのない人。しかし、夢の中では、あの人だなと分かっている。左の人は存在感が薄い。真ん中の人は、少し子どもっぽい赤いジャケ…

ヘーゲル「哲学史講義」 B.ソクラテスの哲学 二.善の原理 その3

主体の内面がみずから知り決断しているのですが、この内容がソクラテスではなお特異な形式をとっている。精霊というのは、やはり、無意識の、外的な、決断主体で、にもかかわらず主観的なものです。精霊はソクラテス自身ではなく、ソクラテスの思いや信念で…

ヘーゲル「哲学史講義」 B.ソクラテスの哲学 二.善の原理 その2

ソクラテスにあっては、内容の精神化は内容の知ないし認識、もしくは一般的な根拠の提示としてあらわれます。しかしこの根拠は形式的なものにすぎず、対立物をふくむような絶対的に実在的な一般性があるわけでは無く、ーつまり洞察はいまだ本質に達していな…

世の終わりの日に ーマヤ歴に寄せて

夜のはらわたがぶちまけられた 腹蔵なく悪魔は語る 自己中心帝国万歳! 万歳! 万歳!脳味噌は雲丹の味わい 塩辛を召し上がれ天明の飢饉 腰だめの火縄銃が火を噴いた山姥は倒れ 湯気を立てる赤子が産み落とされ悪魔は 春を待つことができない自己中心帝国 万…

ヘーゲル「哲学史講義」 B.ソクラテスの哲学 二.善の原理

ソクラテス自身の意識のなかには、他人の学問は人間にとってなんの役にも立たず、最高の善をなし最高の真を知るためには、みずから道徳の本質を追究するほかないとの思いがありました。この普遍的かつ絶対的なものが、じつは各人の直接の本質にほかならぬこ…

"Das Verhältnis der Anthroposophie zur Naturwissenschaft - Grundlagen und Methoden" "自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録を読む独逸語の勉強#18

前回の続きーDerjenige, der das erlebt hat, was ich charakterisiert habe, der sagt nicht so; er sagt: So wenig diese Tritte und Furchen von innen heraus aufgeworfen sind durch innere Kräfte der Erde, sondern wie irgend etwas darübergefahren…

"Das Verhältnis der Anthroposophie zur Naturwissenschaft - Grundlagen und Methoden" "自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録を読む独逸語の勉強#17

前回の続きーDerjenige, der das so weit innerlich erlebt hat, was ich charakterisiert habe als erlebbar, der spricht anders, der sagt: Wenn man geht, meinetwillen über eine aufgeweichte Straße oder wenn ein Wagen über eine aufgeweichte Stra…

風青院貞六の日記

今日は働いただけの一日だった。全うナ社会人になってしまった。反省している。聖書も読めないで寝てしまうのです。旧約聖書は、邪神信仰に走って道を踏み外した民族の亡国の物語だと思っています。バール神とかに、子どもや娘を生け贄に捧げて、自分たちの…

球体関節人形の夜

自己中心帝国、万歳! 万歳! 万歳!日が沈みましたので。 私もまつ毛を貼り替えませう。

"Das Verhältnis der Anthroposophie zur Naturwissenschaft - Grundlagen und Methoden" "自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録を読む独逸語の勉強#16

前回の続きーAus dem bloßen Naturerkennen heraus bemerkt man, wie mit den körperlichen Veränderungen und Umwandlungen, mit dem jugendlichen Alter, mit dem Greisenalter und so weiter, sich auch die seelischen Zustände ändern.単なる物理的な理…

"Das Verhältnis der Anthroposophie zur Naturwissenschaft - Grundlagen und Methoden" "自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録を読む独逸語の勉強#15

前回の続きーUnd dann tritt eben durch ein konsequentes, geduldiges, ausdauerndes Erleben in dieser Richtung dasjenige ein, was zum Schluß nicht anders benannt werden kann als ein Erleben eines geistigen Daseins.そして、この方向に沿って、徹…

"Das Verhältnis der Anthroposophie zur Naturwissenschaft - Grundlagen und Methoden" "自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録を読む独逸語の勉強#14

前回の続きーUnd dann kommt das Erschütternde, daß man sich sagt; Nicht durch eine Spekulation, nicht durch spekulative Philosophie kommt man weiter über das hinaus, was man die Grenze des Naturerkennens nennt, sondern durch unmittelbares E…

意識の背景としての夢

シュタイナーだと思うのですが、「われわれは白昼も夢を見ているのだが、白日の明るさに意識が眩まされているために、そのことを意識することができないだけなのだ」という言葉がある。夢とその感覚について考えていて、昨日、その言葉を思い出した。意識の…

ビールを飲む夢

明るい光の感じられる夢。 ビールを前に、乾杯の音頭を待っているのだが、誰も言い出さないので、自分で、「乾杯」と言ってしまう。 周りの人が、あ、勝手に飲んでました。と言う。 飲み始めると、泡の層が厚い。ジョッキを傾けて行くと、ようやくビールが味…