アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「動かすものはなにか。それがロゴスであり、目的です」アリストテレス

アリストテレスの哲学とプラトンの哲学はまっこうから対立するもので、 後者が観念論なら、 前者は実在論、 しかももっともありふれた実在論である、 といった(俗っぽい)考えがあまねく流布している。プラトンは理念や理想を原理とし、 内的理念を自発的な…

"自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録(質疑#2)を読む独逸語の勉強#19

Dann ist es dazu gekommen, in der Zeit so um 1902 in Berlin, daß ich einmal ersucht wurde, in einem Kreise, der sich ein theosophischer nannte, dasjenige vorzutragen, was ich über den Geist zu sagen hatte. その後、 1902年のベルリンでのこと…

聖書を読むー独逸語の勉強 #1

DIE BIBEL 聖書NACH DER ÜBERSETZUNG MARTIN LUTHERS マルチン・ルターの翻訳に倣うDAS ALTE TESTAMENT 旧約聖書DAS ERSTE BUCH MOSE (GENESIS) 第一モーゼ文書(創世記)Inhaltsübersicht (内容の概要)Die Erschaffung der Welt Kap 1-2 1-2章 世界の創造…

「一般に人間は自由だと感じてゐるものである。」 フォイエルバッハ

一般に人間は自由だと感じてゐるものである。 そして人間は大して意味のない、 どうでも好いやうな状態にゐたりそうした振舞をしてゐる時だけは實際又通常の意味に於て自由である。 しかし彼の利害関係、 彼の幸不幸、 或は况して、 一定の存在或は非存在に…

「藭の本質は、・・・藭祕な人間の本質に過ぎない」 フォイエルバッハ

しかし藭の本質は、 ただ最高の普遍性と隠遁性とに於いて考へられた本質、 しかし又それ故に名のない、 藭秘な人間の本質に過ぎないやうに、 藭の意思も亦單に人間の神祕な、 名づけられない、 しかしその故にこそ又眞の意思である、 何故なら人間は秘密のう…

謙虚な肉体から不思議に筋肉が落ちていく 私の肉体は昇天を希んでいるのか? 神曲を鞄に入れて春の世界に出て行こう かくてあらゆる實在の合理性てふ命題はヘーゲルの思惟方法の一切の法則に従つて或る別な命題に転化する。即ちそれは存立するものは總て滅亡…

"自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録(質疑#2)を読む独逸語の勉強#18

Rudolf Steiner: ルドルフ・シュタイナー Meine sehr verehrten Anwesenden! 私の敬愛する皆さん!Ich werde nicht nötig haben, Sie noch allzulange aufzuhalten, 私は皆さんをそう長い間お引き留めしないでもすむでしょう。denn ich werde nur aufmerksam…

「良心の聲とは傷つけられた者の復讐の叫びの反響なのだ」 フォイエルバッハ

良心の聲とは傷つけられた者の復讐の叫びの反響なのだ。 人は良心において超人間的なもの及び外人間的なものを發見したと信じているが、 しかしこの地獄で會つた藭(Deus ex machina機械から出た藭)のために、 この場合だつて人間が人間にとつて藭である(Ho…

時間・自由・意思 ー フォイエルバッハ「唯心論と唯物論」より

カントは、 時間はそれ自体では何物でもなく、 唯、 人間の表象にすぎない、 物自体にではなくしてその現象に関するのみ、 といふ純粋理性批判の中で吐露した彼の秘蔵の思想を、 実践理性批判においても主張している。否、 意思の自由の存在をただ、 理性と…

魔術の日

修道僧と双眼鏡 ブラック珈琲とクリームイチゴパンとサンドイッチ ヤコブの手紙と原民喜 "Like Someone in Love" 兄弟テモテの釈放 私を許して下さい「哀れみは裁きに打ち勝つ」 私の兄弟たち 自分は信仰を持っていると言うものがいても 行いが伴わなければ …

そのとき、死者はどこにいたのか?

良く追えていないのですが、つくばの知人たち(親しみを感じている)が、反黙祷デモというのをやるらしい。脱原発テントをやっている人たち。ぼくは右寄りの人にも友人が多い。ざわざわした気持ち。これはその「効果」から云えば、脱原発への”一般人”からの…

「水ヲ下サイ」

「水ヲ下サイ」。原民喜は戦後間もなく、広島で開かれたペンクラブの会合の後、自分に回ってきた寄せ書きに思わず書いたと言う。今の自分にとっての詩が、その水なのだと思う。本当は死にかかっているのに、それに気がつかないのが人間というものだ。しかし…

パウロの復活

”パウロ書簡”とされてきたもので、どれが真で、どれがそうで無いかという問題があることは識っていましたが、そういうことをひとまず措いて、自分で読むということにしています。岩波版「新約聖書翻訳委員会」の作品(学問的解説付き)も持ってます。確かに…

朝の夢想

ぼくにはジャズの季節とクラシックの季節がある。それがどうして入れ替わるのかがわかれば、といつも思う。完全に分離しているわけでもない。シュタイナーは、肉體が男性ならエーテル體は女性、転生で男女は入れ替わ(れ)るという。それが関係しているのだ…