一般に人間は自由だと感じてゐるものである。
そして人間は大して意味のない、
どうでも好いやうな状態にゐたりそうした振舞をしてゐる時だけは實際又通常の意味に於て自由である。
しかし彼の利害関係、
彼の幸不幸、
或は况して、
一定の存在或は非存在に過ぎぬにもせよ、
存在と非存在が問題となるやうな状態や行為に於ては自由ではない。
フォイエルバッハ「唯心論と唯物論 6必然と責任」
(関根悦郎・國互一訳、共生閣、昭和六年十一月発行)
「一般に人間は自由だと感じてゐるものである」フォイエルバッハhttp://t.co/W7T0StBE8o 読書メモ。こういうF氏の言は切実です。「意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定するのであるーマルクス」を念頭に読むと、逆に良く分かる。F氏→M氏の唯物論。
— armchair anthroposop (@longtonelongton) 2014, 3月 26
↓「意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定するのである−マルクス」大日本三千年紀研究會のためのコラージュ集15
http://t.co/cxYOlMsbZv 虚実入り乱れた「研究會」。実現してもよかったかな。国家主義を偽装するアナキストの研究會(笑)。バカっぽいなあ。
— armchair anthroposop (@longtonelongton) 2014, 3月 26