アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

「藭の本質は、・・・藭祕な人間の本質に過ぎない」 フォイエルバッハ

しかし藭の本質は、
ただ最高の普遍性と隠遁性とに於いて考へられた本質、
しかし又それ故に名のない、
藭秘な人間の本質に過ぎないやうに、
藭の意思も亦單に人間の神祕な、
名づけられない、
しかしその故にこそ又眞の意思である、
何故なら人間は秘密のうちでのみ、
藭的な權威の保護と翼の下でのみその意思を語るからである。

フォイエルバッハ「唯心論と唯物論 6必然と責任」
  (関根悦郎・國互一訳、共生閣、昭和六年十一月発行)

   ☆

F氏、
しかしそれだからこそ、
逆に言えば、
”人間の中の藭”という言も成り立つのではないですか。
藭の本質は、
人間の本質に過ぎない、
のではなく、
藭の本質が、
人間の本質に等しい。
そこに”基督教の本質”があるのではないですか?
「基督教の本質」を書いたF氏。
それも読まないと、
いけないかな。。。