アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

「良心の聲とは傷つけられた者の復讐の叫びの反響なのだ」 フォイエルバッハ

良心の聲とは傷つけられた者の復讐の叫びの反響なのだ。
人は良心において超人間的なもの及び外人間的なものを發見したと信じているが、
しかしこの地獄で會つた藭(Deus ex machina機械から出た藭)のために、
この場合だつて人間が人間にとつて藭である(Homo Homini Deus)のだが、
この場合の この人間的な藭は何等救ひ主ではなくて復讐者であるといふことを忘れている。
私の外にある我、
感覚的な汝は私における超感覚的良心の根源である。
私の良心とは傷つけられた汝の代わりに席に就く私の我以外の何物でもない、
自己の幸蘄慾を基礎としその命令を受けて務める他人の幸蘄慾の名代に外ならない。
・・・・
倫理的意思は、
禍を受けることを欲しないが故に如何なる禍をも加へやうと欲しないところの意思である。
否、如何なる禍をも受けるを欲しない意思のみが、
故に幸蘄慾のみが道徳律であり、
人間が禍を加へるのを妨げる或は防ぐべき良心である。

 フォイエルバッハ「唯心論と唯物論 4倫理学の原理」
  (関根悦郎・國互一訳、共生閣、昭和六年十一月発行)