アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

そのとき、死者はどこにいたのか?

良く追えていないのですが、つくばの知人たち(親しみを感じている)が、反黙祷デモというのをやるらしい。脱原発テントをやっている人たち。ぼくは右寄りの人にも友人が多い。ざわざわした気持ち。これはその「効果」から云えば、脱原発への”一般人”からの風当たりを増すだけの自己満足のデモだ。

「正しければ」いいのだろうか?正しければ、その「効果」がどのようなものであってもいいのだろうか? それは脱原発運動が古臭い左翼の運動にすぎないという一般人の印象・反感を増幅し、再度311以前の状態に後戻りさせることではないのか? 即ち原発推進に追い風を与えることではないのか?

結果的に地道に脱原発運動してきた地元の人たちが、保守的な一般人から白い目で見られ、勢いを削ぐ結果になるかも知れない。地方の人の家では、天皇一家のカレンダーが飾られていることが多い。脱原発と政治をこう言う形で結びつけることは疑問だ。イデオロギーイデオロギーで別にやって欲しい。

空想的反天皇主義者か。。。

昨日も、空想的政治論者たちと同席した。ぼくはひたすらH君と音楽について語り合った。彼らを無視して。あるいは彼らに無視されて。空想的運動家が一番始末が悪い。そのとき、死者はどこにいたのか?