アリストテレスの哲学とプラトンの哲学はまっこうから対立するもので、
後者が観念論なら、
前者は実在論、
しかももっともありふれた実在論である、
といった(俗っぽい)考えがあまねく流布している。
プラトンは理念や理想を原理とし、
内的理念を自発的な創造者であるとしたが、
アリストテレスは魂は白紙(タブララサ)で、
すべての内容をまったく受動的に外界から受け取ると考えるような、経験主義者、
最悪のロック主義者だというわけです。
実際は、
アリストテレスの思索の深さはプラトンをしのぐほどで、
というのも、
かれは観念論的な思索をつきつめた人だからで、
経験的な視野をどんなに広げても、
根は観念論者だったのです。
ー 以上 B、アリストテレスの哲学、の導入部より ー
プラトンの理念は一般に客観的なもので、
そこには、
活動の原理、
主体性の原理が欠けています。
この活動ないしは主体性の原理、
それも、
偶然の特殊な主体性という意味ではなく、
純粋な主体性という意味での原理は、
アリストテレスにいたってはじめてあらわれるものです。
同時にまた、
アリストテレスでは、
善や目的といった普遍的なものは実体的な基礎をなす。
ヘラクレイトスやエレア派とは反対に、
普遍的な目的をみとめ、
それを堅持するのがアリストテレスです。
☆
アリストテレスは純粋な「ある」と「あらぬ」を、
つまり、
本質的には一方から他方へうつっていくだけの抽象体を考えているのではなく、
「ある」ものとして本質的に実体ないし理念を考えている。
アリストテレスが問うのは、
もっぱら、
動かすものはなにか、
ということで、それが論理(ロゴス)であり、
目的です。
☆
アリストテレスはたんなる変化にたいして一貫するものを対置しますが、
反対に、
ピタゴラス派やプラトンの数にたいしては、
活動を強調します。
活動とは変化でもあるが、
自己同一性を保つ変化、
ー 一貫するもの内部にあらわれる自己を変えない変化 ーであり、
自己自身を明確にしていくような展開です。
たんなる変化の場合には、
変化のなかで自己を維持するといったことは見られないのですが、
一貫するものが活動し、
自己自身を明確にしていく。
目的とは、
このように自己自身を明確にすることであり、
そこに実現されるものです。
以上がアリストテレスの存在論の要点です。
(長谷川宏訳ヘーゲル”哲学史講義・中”、B、アリストテレスの哲学、一、形而上学。河出書房新社1994年2月20日再版)