アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

ヘーゲル「哲学史講義」 B.ソクラテスの哲学 二.善の原理 その2

ソクラテスにあっては、内容の精神化は内容の知ないし認識、もしくは一般的な根拠の提示としてあらわれます。しかしこの根拠は形式的なものにすぎず、対立物をふくむような絶対的に実在的な一般性があるわけでは無く、ーつまり洞察はいまだ本質に達していないのです。

以前にいくつもの掟があったように、いくつもの根拠があって、それらをさしつらぬく洞察は実在せず、それぞれの根拠はばらばらに存在するにすぎない。つまり、たくさんの根拠はあるが、それが統一されてはいない。だから、既製の掟や義務も、意識がうけいれさえすれば根拠と見なされるのです。

が、本当の根拠は精神であり、民族の精神であって、洞察は民族の構成、および、この実在する普遍的な精神と個人とのつながりにむけられねばなりません。

長谷川宏訳)

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ここでヘーゲルは、ソクラテスの議論を読んでいて感じる不満・不全感を分析してくれているようだ。この記述の前に、ソクラテスの同時代人、アリストファネスによる喜劇「雲」における、ソクラテスに対する批評的な表現への高い評価が述べられています。

シュタイナーの(或いは西洋の霊的伝統における)天使論によれば、個人に関わる天使、民族に関わる大天使(=民族の精神)、そして歷史に関わる権天使(=時代霊)が、神的位階の第三ヒエラルキーを形成する。シュタイナーは既に権天使の位階に上昇した時代霊としてのミカエル、つまり、聖書の時代の大天使ミカエルでは無く、現代における権天使ミカエルを示唆しています。ヘーゲルの言う世界精神には歷史を司る時代霊としての面影が見え隠れするような気がしているのですが・・・。要するに、マルクスエンゲルスによるヘーゲル観念論批判はその意味で全く正鵠を射たものであって、ヘーゲルこそ西洋のオカルト的伝統に忠実なのである!?