アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

ヘーゲル「哲学史講義」 B.ソクラテスの哲学 二.善の原理 その3

主体の内面がみずから知り決断しているのですが、この内容がソクラテスではなお特異な形式をとっている。

精霊というのは、やはり、無意識の、外的な、決断主体で、にもかかわらず主観的なものです。精霊はソクラテス自身ではなく、ソクラテスの思いや信念でも無く、無意識の存在で、ソクラテスはそれにかりたてられています。

同時に、神託は外的なものではなく、かれの神託です。それは、無意識と結びついた知という形態をとるもので、ーとりわけ催眠状態によくあらわれる知です。

死にそうなとき、病気のとき、強硬症にかかったとき、正常な知性にはまったく見えてこないつながりが見え、未来や現在がわかることがあります。そんなことはあり得ないとあっさり否定されることが多いのですが、事実、こう言う現象はおこるので、ソクラテスの場合には、知と決断と思考に関係し、意識的自覚的に生じたはずのことが、このような無意識の形式でうけとられたのです。これがソクラテスの精霊とよばれるものです。

こうした精霊がソクラテスにあらわれるのは、理にかなったことです。内面の知がダイモニオン(精霊)の形をとるのは、ソクラテスに特有のことで、以下のことと関連してこの点はさらにくわしく見る必要があります。ダイモニオンはソクラテスになにを指示し、どのような決断の形式をとらせたのかが重要な点で、それについてはクセノフォンの書がもっとも確実な史料です。

長谷川宏訳)