物体が感覚を産出するのではなく、
要素複合体(感覚複合体)が物体を形作るのである。
☆
物理学者にとっては物体が、
持続的なもの、
現実的なものであるように見え、
これにひきかえ、
「要素」はこの物体の流動的なはかない仮象であるように見えるので、
「物体」はすべて要素複合体(感覚複合体)に対する思想上の記号(ゲダンケンジンボレ)にすぎないということを物理学者は考量しない。
☆
生理・物理学的研究によって立ち入って探求さるべき、
本来の・直接的かつ究極的な基礎をなすものは、
ここにおいてもやはり上述の要素なのである。
このことを洞察することによって、
生理的ならびにまた物理学において、
多くの事柄がはるかに透徹しかつ経済的になる。
しかも多くの仮想上の問題が除去されることになる。
☆
世界は、
こうして、
われわれにとって、
摩訶不思議な存在から成り立っているのではない。
即ち、
これまた摩訶不思議な存在である自我との交互作用によって・それだけが認識可能な感覚を産出するというような存在から成り立っているのではない。
われわれにとっては、
差しあたり色、
音、
空間、
時間・・・・が、
究極的要素であり、
これの所与聯関こそがわれわれの探求すべきものである。
実在の探求はまさしく是に存する。
こうした研究に際しては、
われわれは断じて、
物体、
自我、
物質、
精神・・・・といった
ー 特定の実用的な一時的で局限された目的のために案出された ー
概括や区画に煩わされるわけにはいかない。
☆
むしろ、
個別科学がそうしているように、
研究そのものに即応して、
最もふさわしい思惟形式が案出されるのでなければならない。
伝来の本能的な考え方に代えて、
より自由・淳朴で・発達した経験に〈も〉適合し・実生活の必要をみたすという以上の射程をもつ・ものの観方を登用しなければならない。
エルンスト・マッハ「感覚の分析」第一章「反形而上学的序説」
(須藤吾之助・廣松渉訳、法政大学出版会、2013年10月新装版第一刷)