「わたしは悪がどこからくるのかを探して、そこから抜け出せなかった。」
「私は真理を発見することなく、死の怖れによってさいなまれていた。」
聖アウグスティヌスが「信仰」とともに求めていたのは真理であり、教義と共に形而上学であった。そしてそれとともに全キリスト教を。だが、彼が一時ネオプラトニズムを採用したのは、ほどなくそれを変容するためであった。そしてそれとともに全キリスト教を。われわれが明確にしようとするのは、この変容の意義である。
すでに見たように、プロティノスが聖アウグスティヌスに仲介者としての言(ロゴス)の説をもたらし、さらに悪の問題の解決をもたらすのである。
位格化された叡智が、事実キリストの運命を神の言(ロゴス)として照らし出す。
「御言葉(ロゴス)が肉となって、私たちのなかに宿った。」
悪については彼はプロティノスの思想から、悪は質量と結びつき、まったく否定的実在であることを学ぶ。
アルベール・カミュ、滝田文彦訳「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」第四章 一 第二の啓示、 A 聖アウグスティヌスも心理的体験とネオプラトニズム