アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

マクナマラ、アラン・エントホーフェンと「死の経済學」、あるいは「市場原理主義と東京大空襲」

当時の労働党はかなりラディカルで、ベヴァリッジの案を具体化するため、・・・1948年にナショナルヘルスサービス(NHS)として理想に近い形で実現することになったわけです。これはすべての国民(居住外国人を含めて)が無料で医療サービスを受けることができるという制度です。・・・

1979年に登場したサッチャー首相は、社会的共通資本として機能している国鉄、電話、電信、郵便をすべて民営化したあと、二期目に入って、国民の圧倒的な支持があって手を付けられなかったNHSについて、アメリカからアラン・エントホーフェンという経済学者を招き、内部市場という制度を設けて実質的な民営化を強行します。・・・

エントホーフェンの内部市場の考え方は、Death-Ratio ー 患者一人が死に至るまでのコスト ー を最小にすることによって医療費を抑制しようとするものだったのです。そのため、例えば60歳以上の老人に対しては、腎臓透析を禁止するという通達まで出されたほどです。まさに、市場原理主義を極限まで貫こうとする恐ろしい考え方です。じつは、小泉政権の下で強行された医療費抑制政策、特に後期高齢者医療制度は全く同じ考え方に基づいたものです。

ちなみに、エントホーフェンは国防長官マクナマラの信望を得て、若くして国防次官としてベトナム戦争の実行計画の責任者になった人です。「ベトコン」一人を殺すのにかかるコスト ー Kill-Ratio という残酷な名前が付けられていますが ー を最小化する、つまり限られた戦争予算のもとでできるだけ数多くの「ベトコン」を殺すことを戦争の目的にした。それを『ニューヨーク・タイムズ』がすっぱ抜いて、世界中から囂々たる非難を浴びたのです。

マクナマラは、虗藭的、倫理的に追い詰められ、国防長官を辞任し、ジョンソン大統領も再任を諦めざるを得なくなった。ベトナム和平への道が開かれることになったわけです。

實は、この市場原理主義的なKill-Ratioはマクナマラが最初に考え出して、日本攻略に際して最も効果的に使われたものです。マクナマラは戦争中、陸軍航空隊で、Kill-Ratioを最小にするような日本爆撃の方法について研究していた。それが日本爆撃の任務を負った第二十一爆撃集団の司令官カーティス・E・ルメイ少将の目にとまって、その指揮下に入って、グアム島で日本爆撃の実行に参加するわけです。限られた航空力を最も効果的に使って、日本の都市を絨毯爆撃して、徹底的に破壊し、できるだけ数多くの家を燃やし、できるだけ数多くの人間を殺すことを日本爆撃の目的に掲げたのです。マクナマラの立てた計画が最初に大規模に実行に移されたのが、1945年3月10日の東京大空襲でした。下町を中心に一面火の海と化し、一晩で八万人を超える人が殺され、5万人近い負傷者が出て、三十万戸近い家屋が焼失するという大惨事になった。その後、拡大化され、日本中の主な都市を巻きこみ、最終的には、広島、長崎の原爆投下という、これまで人類が犯した最大の罪を犯すことになったわけです。

ずっとあとになって、The Fog of War というドキュメンタリー映画のなかで、マクナマラは当時を振り返って、こう言っています。
「ルメイ少将は、「もし我々がこの戦争に負ければ、我々は戦争犯罪人として処刑されていただろう」と言っていた。彼は正しかったと思います。彼と、多分私も、戦争犯罪人になるようなことをしていたんです。」(木村太郎東京新聞』2009年7月11日)

宇沢弘文内橋克人「始まっている未来 新しい経済學は可能か」(岩波書店、2009年10月第一刷、2015年2月第12刷)