・・帝国主義戦争・・戦争体験をマルクス主義のシェーマにあてはめることは、それはそれで一種の精神的作業にほかならないが、少なくとも、その作業は歴史形成の努力とは無縁だというのがわれわれの考えだからである。
われわれは、マルクス主義の知識の中に、すでに歴史意識が与えられているという考え方に全く対立するのである。そして逆に、マルクス主義を含めて、わが国の思想伝統に、歴史意識が付与されるための最初の可能性こそ、戦争体験論の中に含まれると考えるのである。
私:問題は、「大東亜戦争」における、「帝国主義戦争」という觀念によっては被覆され得ない部分であることは確かなのですが。
私:橋川の言及する「私小説的感性」のもつ、世界から孤立した日本的方法論の即自性を、むしろ飛び込み台に変えてしまうこと。そこから思い切りよくジャンプし、(歴史の)深淵に潜っていくこと。橋川論文では私小説的歴史意識論は「世代論」に伴う虚妄性=トートロジーをもって引き継がれ消える。
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ヨーロッパにおける歴史意識は、しばしば言われるように、歴史過程の弁神論的直観を動機として生まれている。それは、世界過程と藭との深い交渉様式の認識という精神の作用であった。
しかも、そのような意識が成立したのは、歴史的事実とみられたイエスの磔刑に対する深い共感の伝統によるものであった。・・・
私は、日本の精神伝統において、そのようなイエスの死の意味にあたるものを、太平洋戦争とその敗北の事実に求められないか、と考える。
イエスの死がたんに歴史的事実過程にあるのではなく、同時に、超越的原理過程を意味したと同じ意味で、太平洋戦争は、たんに年表上の歴史過程ではなく、われわれにとっての啓示の過程として把握されうるのではないか。
私:まさしくぼくはこの意味で、「敗戦→日本国憲法」の誕生過程に「超越的原理過程」、「啓示の過程」を感じてしまうことを告白しておきます。ヘーゲルの言う世界精神、シュタイナーの言う時代靈のはたらきそのものだ。しかし、橋川の論は当然、そんな方向には行かないでしょう。これから読み進むよ。
私:逆説的ですが、そう言う意味で、ぼくは、「大東亜戦争」肯定論者です。全く、メタな話で恐縮だ。歴史的死の意味。死者たちの聖性の意味。誤解されそうですが。誤解されるでしょう。靖国(民族)とは別の”レイヤー”、”世界史”の話。
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われわれは、十五年前の八月十五日に、国民の少なからぬ部分が「戦争も終わることができたのか!」という、今から思えば異様な実感をいだいたのを思い浮かべることができる。
・・・しかし、国民の戦争に対する意識の核心部分をなしていたものは「神州不滅」の理念であり、戦争体制はほとんど自然の秩序のように疑うことのできないものしてそこにあった。
私の個人体験に即していうことを許されるならば、たとえば満州事変は、太平洋戦争開始の時点において、すでに遠い昔の絵草紙の世界のことのように思い浮かべられたものである。
戦争は日常心理の中に定着して一種の自然となり、歴史は自然としての戦争そのものを意味するように思われた。そして、神州不滅は、その論理的根拠をなすものと見なされた。
私は、たとえば日清・日露の両戦役において、それがいかに国家存亡を賭けた戦争として意識せられていたにせよ、右のような心理状態をつくり出すことは決してなかったと信じる。
戦勝か、敗北か、いずれにせよ、そこには限定された”時間”が想定されていたはずであり、結果の判断におけるリアリズムが貫いていたことは疑えないと思う。しかし、太平洋戦争だけは、その点で異常な戦争であった。
たんに戦争目的とそのための手段の曖昧さということばかりではなく、おそらくいかなる戦争にも見られないであろうような、奇怪な心理状態がそれにともなっていたのである。
そのような心理は、現在もなお、ルバング島の日本兵に、ブラジルの一部邦人にその残影をとどめている。このような戦争心理は、果たして歴史上他に類例を求められるであろうか?
私:橋川の述懐(太平洋戦争という無限に続く異常な時間)は戦後生まれの吾々には非常に目新しい気がします。ここで橋川の分析を安易に敷衍することは慎むべきであるにせよ、戦後日本に潜伏し生き延びたこの”異常心理”の影から成長した怪物が、今、吾々の前に姿を現してきたという気がしてなりません。
橋川文三:「戦争体験」論の意味
(戦後日本思想体系13「戦後文学の思想」高橋和巳編集・解説 所収、昭和44年1969年、筑摩書房)