アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

エジプト革命と美しい日本の私 ー 遊女ラハブの末裔としての検察・大マスコミ

現代のユダヤ教の姿とか、イスラエルの人びとの実際の宗教意識がどのようなものなのかは、私には分からないので、旧約聖書からの印象で考えることしか出来ない。出エジプトが未だに持続する民族の記憶だとすれば、かつて(紀元前)有色エジプト人ファラオの奴隷だったイスラエルの人びとにとって、今回のエジプトの民衆革命がどのように受け止められているか、知りたいと思う。旧約聖書から受けるユダヤ教の印象は、残忍な古代的宗教、ローカルな民族宗教である。現代のユダヤ教では、そう言う側面がどのように解釈され、あるいは克服されているのだろう。イスラエルパレスチナにおける非人道的行為を考えると、未だにその古代宗教的な残酷さ、異民族・異教徒に対する苛烈さ(神が命ずるジェノサイド思想)が払拭されてはいないのではないかという気がしてくる。西洋のキリスト教社会全般も、旧約聖書のこのような古代的な負の影響をどのように受けているのか、あるいは払拭しているのか、興味深いところである。
これは偏見に満ちたうがった見方かもしれないが、旧約聖書的な感性にとって、異民族・異文化との関わり方の基本的な構図が、出エジプト時に焼き付けられた「奴隷と主人」であって、民族・国家のあり方としては、奴隷か主人かの二者択一しかないのではないか。そう言う意味では、現代の日本人は、ユダヤ系金融資本・あるいは米国戦争屋にとっては搾取すべき奴隷という位置づけであるに違いない。エジプトや中国民衆のことを云々する以上に、本来は日本人が独立すべき番だが、検察と大マスコミ(読売新聞、朝日新聞日本経済新聞、その他その他)は明らかに売国的な民意操作(対米隷属)に大わらわである。かれらはヨシュア記にある”遊女ラハブの末裔”であろう。ヨシュアがエリコ攻略の前に送った斥候二名に寝返って、ヨシュア軍によるエリコ住人大虐殺から見逃されたばかりか、一族郎党で優遇されたという遊女ラハブ。ヨシュア記では、ラハブを好意的に描いているわけだが、旧約聖書的感性にとっては、ラハブ的な裏切り者こそ友であると言うことなのかもしれない。本来、日本的道徳観からは理解できない倫理であるが、現実には金銭にも地位にも恵まれた男女のラハブたちが日本を牛耳っているようだ。