アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

ヘロデ大王とヘロデ・アンティパス

(1)通常「ヘロデ大王」(Herod the Great)と呼ばれるヘロデは前37年から前4年までローマの庇護の下にユダヤ王として在位した。

(2)ヘロデ・アンティパスはイエスの時代にガリラヤ及びペレアの分封国守であったので福音書にたびたび登場する。イエスは彼を「あのきつね」(ルカ13:32)と呼び、バプテスマのヨハネは彼が兄ヘロデ・ピリポの妻ヘロデヤと結婚したことを非難したため投獄され、ヘロデヤのはかりごとによって処刑された(マタイ14:3-11、マルコ6:14-29、ルカ9:7-9)。その他ルカ福音書には物語の時代背景を示すためにしばしば名が記されている。ルカ23:7-12によると、アンティパスはイエスの裁判のときにたまたまエルサレムにいてイエスの審問に関係したという。

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ヘロデ大王」は新約聖書においては、マタイ2:1-22とルカ1:5にイエスの誕生に関連して記されているのみである。

国内問題に関してはローマの掣肘を受けることなく自由であったが、
対外政策について独自の行動をとることは許されていなかった。

ヘロデの内政は複雑な税制に支えられていた。
人頭税
土地税、
租税、
家屋税および王冠税などのほか、
国内に持ち込まれるあらゆる物資に関税を課し、
道路、
橋梁、
港湾などの使用税を取り立てるなど、
すべての財源となるものは見逃さず、
国富の蓄積をはかった。

ヘロデにはこうしたすぐれた商才と強権的な独裁者の資質が結びついていた。
彼はまたローマの承認の下に軍隊を設けたが、
軍の中心をなしたのはユダヤ人よりもむしろヘレニズム的なスタイルの外人傭兵部隊であった。
ヘロデは彼らの忠誠を確保するために、
服役後はユダヤ領内のヘレニズム諸都市の政府機関に任用するなどの制度を設けた。

また高度のスパイ制度を伴う警察を創設し、
あらゆる反対勢力を容赦なく圧迫した。

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要するにヘロデ〔大王〕はユダヤの宗教文化の伝統を軽視し、ヘレニズム国家としてローマの勢力下に専制政治の枠組みを作り上げたのであって、民衆の間に根強い反感と分裂を生じさせたのである。

ユダヤ人は彼のこうした政策に対して典型的な反抗の態度を示し、彼をユダの王(祭司)家の血統に関係のない簒奪者とみなした(*)。

父祖の宗教的伝統に立てこもる者はパリサイ派に結集し、都市を中心に広い影響力をもった。

また世俗生活に希望を失って隠遁生活に入るエッセネ派は周辺地区に広がっていたと考えられる。

(*)(先王)アンティパルはユダヤ教に改宗してユダヤ人の支持を得ようとしたが、イドマヤ出身という背景は彼自身のみならず、ヘロデ王家につきまとう問題点であった。後代の伝説によれば、アンティパルはアシケロンのアポロ神殿に仕える神殿奴隷から身を起こしたというが、これはおそらく事実ではなく、反対派のユダヤ人の悪意に基づく伝説であろう。

(新見宏)新聖書大辞典(キリスト新聞社、1971年初版、1982年第五版)