哲学において藭、
存在、
空間、
時間、
等々を出発点にとり、
それらについてかたろうとすれば、
それらの内容はその本性からして直接的であり、
直接的なものとしてしかあらわれないことを知らねばならない。
また、
その定義は、
直接にあらわれているかぎりで、
まったくあいまいであることを知らねばならない。
つまり、
藭はまだあいまいであり、
思想的に空虚なのです。
つぎにプラトンは事態をあきらかにすべく前にすすみ、
ここにはじめて理念があらわれます。
プラトンの哲学的思索から目をそらしてはいけません。
藭は秩序のほうをすぐれたものと考えた、
とプラトンはいう。
いかにも素朴なもののいいかたです。
わたしたちなら、
藭の存在をまず証明すべきだといい、
目に見えるものがどんなものかはっきりしてくれというでしょう。
が、
プラトンはまったく素朴な考えでそういっているので、
のちにそこから証明されてくるものがはじめて本當の定義、
理念の定義といえるのです。