アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

ナチズムは死なないことについてのメモ#3(創成期ナチス党と大衆の気分)

当時のナチス党の活動には、後年のナチスの恐怖政治を認知できるような徴候があったであろうか、とフェルプスはたずねる。たしかに、この時代からナチス党の集会は暴力に支配されており、反対派に対するテロルははげしかった。途方も無い嘘でかためられた毒々しい空気が、集会を支配した。

運動が暴力的な形で発展するにつれて、平和な都市であったミュンヘンは不気味で険悪な様相を呈しはじめた。

われわれは、党が大衆に向かってなにを説得しようとしていたかを確定することもできるし、また、党が大衆の次のような気分をいかに巧みに利用し尽くして党勢を拡大したかも推察することができる。

すなわち、ボルシェヴィズムに対する恐怖、「他郷者」(ドイツ的でないもの、の意味ももつ)に対する憎悪、ドイツの敗戦と革命についての自責の念、1914年以前の黄金時代に対するあこがれ、ヴェルサイユ条約やそれにもとづく戦後ドイツの悲惨な状態からの救済を求める大衆の気分などを、党がいかによく利用したかを知ることができる。

したがって、1920年大正9年)当時のナチス党は、後年のナチス党とは違う性格も多く備えていた。したがって、一般大衆が当時のナチス運動から後年の第三帝国のテロル支配を推測できなかったとしても、けっして不思議では無いのである。

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「初期ナチズムの性格やナチス以外のドイツ極右運動にの性格には、犯罪的暴力支配とは異なる要素が多かった。排斥されるべき勢力は、後期ナチズム、とくにヒトラーを囲む少数の徒党だけにすぎなかった」という気持ちがフェルプスらの理論の背後にあるが、かかる気持ちは、ナチズムとドイツ侵略主義そのものとを極端に区別しすぎるという欠点をもっている。

ナチズムの基本的性格は一貫していたし、ドイツ支配勢力と侵略主義の基本的性格も一貫していた、というのが私の結論である。

村瀬興雄「ナチズム ドイツ保守主義の一系譜」より、「IV創成期のナチズム 初期ナチズムの特徴」(中公新書154、昭和43年2月初版、昭和63年8月31版)