アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

バクーニンによるプロレタリアート独裁批判:大日本三千年紀研究會のためのメモ

彼(バクーニン)は、プロレタリアート独裁政権ないし「人民国家」に君臨する党幹部や教条主義的なイデオローグからなる知識人の支配を、次のように痛烈に批判する。

「生より前に思想が位置し、抽象的理論が社会的実践に先行し、したがって、社会の科学が社会改革と再建の出発点とならねばならないという、われわれの考えでは全く誤った前提がひとたびうち立てられると、全く論理的に(中略)彼らは次のような不可避的結論を引き出している。

即ち、かような思想、理論、科学は、少なくとも現在ではきわめて少数の者の所持する所である以上、これら少数者が社会生活を手中に収め、一切の人民運動を鼓舞するのみか、それを指揮しなければならない。

そして革命が成功するや否や、即座に新しい社会組織が樹立されなければならないが、その新組織たるや、人民の必要と本能に相応して機能する(中略)民衆団体の自由な結合では無くして、これらの衒学的な少数者の手中に、あたかも彼らこそが真に人民の意思を表現するかのごとくに、集中されるべき独裁権力なのである。(中略)

かような革命的独裁と、近代国家との差異は、たんに外的装飾だけにすぎない。

実質上は、両者共々多数者の愚昧と少数者の優越的知恵の名においてする、多数者に対する少数者の支配なのだ。だからこそ、彼らは等しく反動的であり、両者いずれの場合でも、その直接的かつ必然的な結末は、支配的少数者の政治的、経済的特権の保障であり、他面では、人民大衆の政治的、経済的隷従なのだ」

「いかなる独裁も、自己の永続化以外になんらの目的も持ち得ない。独裁が、それをたたえる人民の中に生み出し、育成しうるものは、隷属にすぎない。自由は自由によってのみ、すなわち、全人民の反逆と、下から上への労働者大衆の自由な組織によってのみ、創造されうるのだ」

     (バクーニン「国家性とアナーキー」)

 「世界の名著42:プルードンバクーニンクロポトキン」(中央公論社・昭和42年)所収「アナーキズム思想とその現代的意義」猪木正道勝田吉太郎より