アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

デュナミスとエネルゲイア ー ヘーゲルによるアリストテレス「形而上学」講義

(α)可能性(デュナミス、ポテンティア)の形態。
(β)現実性(エネルゲイア、アクトゥス)ないし、完成体(エンテレケイア)の形態 ー 目的を含み、目的の実現された形態。

 物質そのものは能力ないし可能性(デュナミス)に過ぎず、現実体ではない。
 現実体は形であり、物質が本当に存在するには形ないし活動が必要。
 物質は潜在的なものに過ぎない。
 物質はあらゆる形を取りうるけれども、それ自身は形を生み出す原理ではないからです。  

(α)可能性(デュナミス):力ではなく(力はむしろ形の不完全な形態)可能性や能力、客観的な素質・素地。
(β)現実性(エンテレケイア):純粋に自発的な効力で、潜在状態にある自己を否定して現実的な自己を実現する活動。

こうして、
本質的で絶対的な実体は、
可能性と現実性、
ないし、
物質と形を不可分に統一したものとなるが、
他方、
形は可能性としての物質無しには存在しない。

もっと具体的にいうと、
現実性(エネルゲイア)が主観的なもの、
可能性が客観的なものといえるので、
いうまでもなく、
真に客観的なものは真に主観的なものと同様、
現実性と可能性の統一体です。

 ☆

プラトンは存在の本質を一般的に表現するだけで、
それがどう実現されるかを論じていない。

実際、
一般性が否定されてどう理念が実現されるかは、
直接に表現されてはいませんが、
存在の本質が対立物の統一にある以上、
その過程は不可欠です。

対立物の統一とは、
対立物の否定を本質とし、
他なる存在を破棄し、
対立を破棄して自己へとかえっていくものだからです。

アリストテレスのいう現実性(エネルゲイア)とは、
まさしくこの否定の活動であり、
実在をうみだす活動です。

それは自立し自己自身を分裂させ、
統一を破棄し、
分裂を引ひきおこす活動であり、 
 ー そのとき、理念はもはや独立の存在ではなく、
他者にむきあう存在であり、
統一を否定する力となっている。

が、
それだけではない。
対立物は破棄されるのですが、
この対立物の一方はそれ自体が統一体なのです。

プラトンでは理念(イデア)といいう積極的原理がたんに抽象的な自己統一体として力をふるいますが、
アリストテレスでは否定の側面がとりあげられ、
しかもそれが変化や無としてではなく、
ものごとを区別し、
明確にし、
きわだたせるものとしてとりあげられるのです。

  ☆

形と物質、
現実性と可能性との関係を明確にし、
この対立の運動を見ていくと、
そこにさまざまな実体のありかたがあらわれる。

長谷川宏ヘーゲル哲学史講義・中”、B、アリストテレスの哲学、一、形而上学河出書房新社1994年2月20日再版)

 
 E  = K  +  U
 系の全エネルギー = 運動エネルギー + ポテンシャル・エネルギー
 エネルゲイア(現実性)= デュナミス(可能性1)+ ポテンティア(可能性2) 
 
現代物理学におけるエネルギー保存則は、ヘーゲル的に見れば、”可能性”である自己自身の分裂と、両者による相互否定がもたらす”現実性”の実現という図式そのものか。
われわれは今もアリストテレスの巨大な影のなかにいる。