アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

2014-06-01から1日間の記事一覧

「純粋理性自身のこの避けることのできない課題とは、 藭、 自由そして不死である」 イマヌエル・カント「純粋理性批判 」序文より

・・・それよりももっと述べたいのは次のことである。 ☆すなわち、 ある種の認識はさらに、 一切の可能的経験の領域を離れて、 経験の中のどこにも対応する対象が与えられえないような概念によって、 われわれの判断の範囲を、 経験の一切の限界のかなたにま…

「観念論は、・・・哲学と一般的な人間理性のスキャンダルであることに変わりはない」 カント「純粋理性批判」第二版序文より

本来の増補 ー それも単に証明法という点においてだが ー を挙げるとすれば、 それは心理学的観念論に対する新たな論駁によっておこなったものと、 [上巻304頁で]、 外的直観の客観的実在性に関する厳密な(思うにまた、唯一可能な)証明によっておこなっ…

「思弁的理性は、 真の構造を含んでおり、 そこにおいてはすべてが器官である。」  カント「純粋理性批判」第二版序文より

独断論とは、 理性自身の能力を前もって批判することのない純粋理性の独断的な手続きのことである。 ☆・・・・もう一つには、 事柄の性質、 すなわち純粋な思弁的理性の本性に帰せられる。思弁的理性は、 真の構造を含んでおり、 そこにおいてはすべてが器官…

「批判の効果」  イマヌエル・カント「純粋理性批判 上」第二版の序文より

しかし今や、 批判によって、 唯物論、 運命論、 無神論、 自由思想的不信仰論、 狂信、 迷信といった、 一般に有害となりうるものや、 果ては観念論や懐疑論という、 どちらかというと学派にとって危険で、 一般人には浸透しにくいものさえも、 根絶されう…

「純粋な思弁的理性の固有性・アプリオリな認識 + 認識の原理に関する有機体的統一性・完全性 = 根本学・形而上学としての”批判”」  カント「純粋理性批判」第二版序文より

ところで、 この純粋な思弁的理性の批判という仕事の核心だが、 それは、 今述べてきた、 形而上学のこれまでのやりかたを変革する試みにある。そしてその試みは、 幾何学者と自然科学者の前例にならって、 形而上学の全面的な革命にとりかかることによるも…