アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

2014-06-06から1日間の記事一覧

「経験判断は、 それ自体全て総合的である。」 イマヌエル・カント ”純粋理性批判” 序言 

・・・ 理性が、 与えられた概念に全く異質な、 しかもアプリオリな概念をつけ加えると、 理性は自分でも気がつかずに、 まったく別種の主張を横領する。ところが、 人は理性がどうしてそういうことにいたるか知らないし、 そのような問いに思いいたることさ…

「知性は一体どのようにこれらすべてのアプリオリな認識に達することができたのか、 またそれらはどれほどの範囲と妥当性と価値をもつのであろうか」 イマヌエル・カント ”純粋理性批判” 序言

III 哲学はすべてのアプリオリな認識の可能性、原理、範囲を規定する学問を必要とする ・・・ 人はむしろその前に、 次のような問いを投げかけられていたということである。 すなわち、 知性は一体どのようにこれらすべてのアプリオリな認識に達することがで…

「実体という概念は、 自分たちのアプリオリな認識能力の中に座を占める」 イマヌエル・カント ”純粋理性批判” 序言

序言 II われわれはある種のアプリオリな認識をもっており、常識でさえけっしてそれを欠いていないところで、 このような必然的な、 もっとも厳密な意味での普遍的な判断、 つまりはアプリオリで純粋な判断が人間の認識の中に実際に存在するということを示す…

"自然科学に対する人智学の関係ー基礎と方法"より、1920年6月20日シュツットガルトにおける講演録(質疑#4)を読む独逸語の勉強#1

Frage: (質問)Wir müssen den bestimmten Glauben haben, daß die Mühe, die wir aufwenden, sich auch lohnen wird. 私たちは、 苦労すれば、それはまた報われるだろうというある種の信念をもっているはずです。Ist es überhaupt möglich, das Geistesleb…