アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

彼岸への跳躍(ヘルマン・ワイル「数学と自然科学の哲学」)

3.諸性格は、現実に現れるように個別的に呈示されはしない、しかし、それらの記号は一定の方法によって生成され、無限に向かって開いている可能性の順序づけられた集合体の背景に投射される。

認識はここで立停ってはいない。
けっして完結せず相変わらず無限に向かって開いている数の系列がそれ自身において存在する対象の閉じた集合体とされるとき、
彼岸への跳躍が起こる。

このことが行われるときにのみ数に観念的対象の資格を与えることが危険になる。

絶対的なものへの信仰は我々の胸に深く植えつけられている;
だから、
数学がこの跳躍をなすほど大胆であり素朴であったことは驚くにあたらない。

すべての数の無限の全体に関する次の定義、
’n=2xであるような一数xが存在するかしないかに従って、
nは偶数か、
奇数である’
(先に記したような完全帰納法による偶数奇数の定義は別の事柄である)
を意味あるものとして承認する者は誰でも、
すでに彼岸に立っている;
彼にとっては数の体系は’この世のものではない’、
それからの閃光だけがここかしこで捕らえられ我々の意識中に反射される絶対的存在の一領域になっている。

この超越的見地の擁護は、
今日再び数学の基礎を覆うて燃えさかっている激しい論争の中心論点を形づくる。

この論争点はすべての認識に対して徴候的である、
そして数学の分野において他のどこよりも早く明快な解決に達するであろう。

ヘルマン・ワイル「数学と自然科学の哲学」(第二章 数と連続体、無限 ー 6.自然数