アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

ダニエル・アラス著 野口雄司訳「ギロチンと恐怖の幻想」

山岳派(モンターニュ)の論理は、王という例外を怪物的なものによりよく変換する目的で、絶対君主制理論に固有の王の一身の神聖化という概念を再びとりあげる。九月二十一日に行ったグレゴワールの君主制の廃止を導く演説で用いられた方法では、「怪物が物質界にあるように、王は精神界にある。」

革命はみずからの神聖性を、王の身体の神聖化に依拠している。革命は王の身体を利用し、それを無に帰すことによって成立しているのだ。
          
専制君主の首は法の剣の下に今落ちたところだ。・・・人民は晴れやかな喜びに活気づいているように見える。まるで宗教的な祝典に参列したようだ・・・」    マラー

この宗教的情熱は、万人に対する平等な法の単なる適用とはまったく別のものを告げている。この一月二十一日に、ギロチンの瞬間性が、”神聖觀念の失神”とでも呼ぶべきものを創始したのだ。

神聖觀念は、くつがえされ、ただちに取り代えられるために消滅したのだ。この瞬間がよく見えなくて、あらゆる聖なるものを包んでいる秘密を保護しているが故に、ギロチンのインパクトはいっそう強烈である。

  ともかく今日は「王の処刑」に関する記述に読みふける。。。
  それがぼくの鎮魂だ。。。  (8月15日)

「尊者フィルモンが栄光の犠牲者に、《昇りなさい、聖ルイの息子よ、天はそなたに開かれている》という最後の言葉を聞かせるやいなや、殺戮の斧は電光のように素早く、聖なる首に襲いかかる。」

歴史のドラマが演じられる時間の膨張を抑制することによって、著者は並外れて濃密な神秘的瞬間を演出する。首斬り刀の刃の上で、死と精神的高揚とが、藭の王国への瞬時の到達とぴったり一致するのだ。

王党派の解釈はかくて、機械の力学的瞬間性を味方として取り込み、今度はそれを逆転させて、聖性にすることに成功するのだ。

  ダニエル・アラス著 野口雄司訳「ギロチンと恐怖の幻想」
   (1989年初版、福武書店