精神生活が栄えるのは、
それが統一体として発展できるときだけである。
「全人」を受け入れるに足る世界観から生じた魂の力の発達の中から、
経済生活においても正しく協力し合えるような生産的な力が生じなければならない。
外的な社会生活に役立つ人間は、
高次の世界観への健全な衝動を育てる教育施設のみから生じる。
もっぱら物品を管理し、
生産過程を指導するだけの社会秩序は、
あらかじめ健全に発達した魂の持ち主がその社会秩序に結びつくのでなければ、
間違った道を辿らざるをえなくなる。
それ故、
われわれの社会生活建設のためには、
自主的な教育施設を作り出そうとしなければならない。
古い仕方で人間が人間を「統治」することがもはや許されないとすれば、
各人の魂の中で、
自由な精神がそれぞれの個性にふさわしく、
自分の人生を導くことのできるように配慮されねばならない。
この自由な精神は、
自分の人生を抑圧したりはしない。
単なる経済秩序の観点から学校制度を規制しようとすることは、
そのような抑圧の積み重ねになってしまう。
しかし自由な精神は、
その精神の本来的な在り方からして、
抑圧に対して絶えず反乱を起こさざるをえない。
社会構造の絶えざる動揺は、
生産過程の指導者に学校制度をも組織させようとする体制の当然の産物なのである。
シュタイナー「社会問題の核心」第二部 社会有機体三分節化をめぐって 三=自由な学校と三分節化 (高橋巖訳 イザラ書房 1991年4月30日 第一刷)