アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

ルターとミュンツアー

ミュンツアーの神秘主義的救済觀から発する革命の主張と確信は、
さらに彼の黙示録的千年王国思想によって補強された。
他方またルターの二王国論より発する革命拒否も、
彼の「藭の言葉対悪魔の闘争史」觀及び「超越的な」終末觀によって支えられていた。

根源的に相違するこの二人の歴史及び終末觀が、
いかに農民戦争における両者の対決を激化させていったか・・・

ルター;
「私のやったことを見よ。
私は法王、
司教、
司祭、
修道士に対し、
なにも剣で打つようなことをしないで、
これまで皇帝、
王、
諸侯たちが全力をあげて打撃を加えたよりもひどい打撃を口だけで加えてきたではないか。」
 
自己が再発見したこの藭の言葉のおそるべき伝播力を見て、
終末の日は近い、
そしてこの世の終わりに現れてくるアンチキリストたる法王の教会は、
間もなく突如としてやって来る最後の審判の日、
キリストによって完全に滅ぼしつくされるであろうと、
ルターは深く確信するに至ったのである。

この確信は、
彼に「多くの無実なる者の血を流しかねない」ローマに対する暴力的反抗を不必要であり有害なものと見做さしめたのである。
なぜなら最後の審判の日に彼らに加えられるおそるべき永劫の罪に比べれば、
肉体の死や叛乱は、
彼らにとって「こそばゆい狐の尻尾で鞭打たれる」ぐらいのものにすぎなかったからである。

・・・かくしてルターはいう。
「私はいつでも、
たとえどんな不正な事實があろうとも、
叛乱を受ける側に組するし、
また将来とも組するであろう。
そして叛乱を起こす側にどんな正当な理由があろうとも反対する。」

また事實ルターはこの段階(1521年?)では暴力的反抗が広汎に発生するとは予想していなかった。
なぜなら叛乱が起こって人々を巻きこむ以前に、
「藭は・・・天地をいちはやく過ぎ去らせれるであろう」と終末の近きことを楽観的に確信していたからである。

 倉塚平「異端と殉教」筑摩書房、1972年(昭和47年)4月初版