アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

ルターとミュンツアー 「それゆえ、 わが愛する諸侯よ・・・ なしうるものはだれでも刺し殺し、 打ち殺し、 絞め殺せ!」

・・・彼(ルター)がミュンツアーに反対してザクセン選帝侯兄弟にあてた手紙・・・

「聖なる神の言葉が現れるときには、いつも悪魔が全力を尽くしてそれに反抗するのが運命である。」

「福音が初めて世に現れたとき、
悪魔はユダヤ人と異教徒をつうじてそれを激しく攻撃し、
多くの血を流しキリスト教界を殉教者をもって満たした(ルターによればこの時期はキリストからコンスタンチヌスに至る黒悪魔の時代である。)
この攻撃が失敗すると、
悪魔は偽預言者や人をまどわす例の持ち主を育て上げ、
この世を異端と分派で満たし、
法王にまで至るのである(アリウス以降、白悪魔の時代)。
法王は最後の最強のアンチキリストにふさわしく、
異端と分派のみをもってキリスト教会を突き倒してしまった(法王がカール大帝とその後継者たちを支配下に置き自己神格化して現在に至るアンチキリストの時代)。」

まさしくルターは、
この世(エーオン)の歴史とは藭の言葉のみが支配する真の教会と悪の力たる悪魔の闘争場と見るに至ったのである。

「・・・悪魔は偽りの霊の持ち主とセクトをもって仕事を始めだした。」
これこそが下から民衆を捲きこんで暴動に立ち上がらせようとする”アルシュテットに巣喰う悪魔”トーマス・ミュンツァーなのであると。

ルターの神の言葉への信頼と自己の発見した「神的真理」とそれとの同一化とは、
歴史は藭の国と悪魔の国との闘争場であるというアウグスチヌス以来の歴史觀を通じて、
自己に反する一切の企てを悪魔から出ずるものと見做さしむるに至ったのである。
農民戦争におけるかの冒頭に引用した恐るべき農民弾圧の呼びかけ(*)は、
まさしくこの藭の言葉対悪魔の闘争史観から発するものであった。

(*)ルター『農民の殺人・強盗団に抗して』
「諸侯領主は自分が藭の役人であり藭の怒りの奉仕者であることを想起せよ・・・
だから寝ていてはならぬ。
忍耐も慈悲も無用だ。
今は剣と怒りの時であり、
恵みのときではないのだ・・・
他人が祈りをもってするよりも、
諸侯が血をもってよりよく天国をかちとりうるとは、
なんとおかしな時代になったことよ・・・
それゆえ、
わが愛する諸侯よ・・・
なしうるものはだれでも刺し殺し、
打ち殺し、
絞め殺せ!
そのために死ぬならば、
諸氏にとって幸いである。
これ以上に祝福された死は諸氏にはありえない。
藭の御言葉と命令に従い、
また地獄と悪魔の絆から隣人を救い出す愛の奉仕のうちに死ぬからである・・・
もしこれがあまりにも酷すぎると思うものがあれば、
叛乱は許さるべからざるものであり、
この世の破滅が刻々と迫りつつあることを銘記せよ!」

  倉塚平「異端と殉教」筑摩書房、1972年(昭和47年)4月初版