アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

モデはあまり立派で無いこと、むしろカッコ良くないことが大事なんだと思っています。安易であることが信条だと思っています。誰でも、できる。あんな程度でもいいのか、っていう感じでできれば最高です。そういう風に、気軽に日本中で、小さいアピールが当たり前になればいい。

1:今週号の週刊金曜日、編集後記に、白井さんが今年四回行った脱原発モデについて書いています。字数制限の中でのクールな記述ですが、先日土曜の「東大・谷中・根津・千駄木篇」の報告でもあります。参加者のひとりとして、少し特権的ではありますが、これも人の出会いの妙だと思い、感謝してます。

2:偉そうなことを言います。今の唯物論的資本主義社會(!)の極限的(終末的)在り方の本質には、人と人を分断する衝動、どのような形であれ、人と人が結びつき、共感する事態を決定的に破壊しようとする衝動がある。人間が、自由な肉体的・精神的存在であることを諦めさせようとする衝動がある。

3:脱原発運動に関わる人たち、それぞれ、思想も信条も、支持政党も、異なるでしょう。その人たちが、脱原発の意識において、さまざまな形でつながる。そして、もてる自由を行使している。それが、希望以外の何だと言うのでしょう?

4:その時代精神に強く共鳴する自分の身体、精神を感じます。その表れです、脱原発モデも。色々な脱原発デモにも参加します。しかし一方で、ある種ゲリラ的なこんなアピールが、日本中で散発するといいと思っています。特に、子どもや若い人にとって、そう言う「風景」が当たり前になって欲しいんだ。

5:そのためには、モデはあまり立派で無いこと、むしろカッコ良くないことが大事なんだと思っています。安易であることが信条だと思っています。誰でも、できる。あんな程度でもいいのか、っていう感じでできれば最高です。そういう風に、気軽に日本中で、小さいアピールが当たり前になればいい。