アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

科学主義が革命の側に、神秘主義が反動に位置付けられていた時代

周知のように、フランス大革命の敗北以後、ヨーロッパは政治の領域においても、科学や哲学の領域においても、一般的な反動の時期を通過した。ブルボン王家の白色テロ自由主義理念と闘うためにオーストリアプロイセン、ロシアの皇帝達の間で、1815年に結ばれた神聖同盟、ヨーロッパの上流社会の間で流行しだした神秘主義と「敬虔主義」、至る所に出現した国家警察などが、あらゆる方面で凱歌をあげた。
  クロポトキン「近代科学とアナーキズム」三・十九世紀初頭の反動
  (勝田吉太郎訳・中央公論社・世界の名著42・昭和42年初版)

少なくともクロポトキンにとっての「革命」とは、経済、政治、権力、生産、労働などの問題だけではなく、時代の精神文化全体を巻き込む大きな人類史的出来事であることが良く分かります。その中で、神秘主義、観念論哲学等は反動の側に置かれ、実証的科学主義こそが革命の側にあるという位置づけです。「近代科学とアナーキズム」四・コントの実証哲学、を読んでいると、上昇気流に乗った科学が開く展望に対する希望に満ちた、楽観的な記述が延々と続き、正直な所、辟易します。近代アナーキズムにせよ、マルキシズムにせよ、唯物論的科学が一気に花開き始め、分子、原子の秘密を人類が知り始めた喜びと期待に酔いしれていた頃に胚胎し、展開した思想であることを忘れてはならないでしょう。その楽天性を福島以後の日本人が共有することはできない。

革命の側に科学があり、反動の側に神秘が位置する。この構図は、実は、福島で致命的な原発事故が起こるまで、戦後の日本にはまだ尾を引いていたのでは無いか。だからこそ、左翼は、科学主義を代表する原発という存在に対して、有効な反対運動を展開し得なかったのではないか。吉本隆明原発支持発言も、その線に沿ったものでした。

しかし、アナーキズムの元を辿れば、西洋では、基督教神秘主義がその源流であったことは間違いがない。時代は、大きならせんを描いて運行しているのです。思想の両極性に思いを馳せたいのです。