アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

自分が成績の評価をされ「先生のレポートは80点でしたよ」と言われる夢

今朝方の夢。
私は大学院の非常勤もしているのですが、未だレポートの採点(成績の評価)が終わっていなくて、事務から催促のメールをもらっており、今日はそれをやるべきなのです。それがあっての夢なのですが・・・

・・・私は、事務の中年男性から、レポートらしき紙片が散乱した机越しに、「先生のレポートの成績は80点でしたよ」と告げられる。その時、私の頭の中を駆け巡ったいささかの焦りに彩られた混乱した想念とは、以下のようなものだった。「え、私が学生を評価するのでは無かったか? いつもあまりにもいい加減な成績の付け方をしているので、遂にこの日が来たのだ。私の代わりに他の教員がレポートを評価して、成績を付けたのだ。それにしても、なぜ、私の評価ができたのだろう。そうか、事務に送り返した学生のレポートの中に、私の書いた模範解答が紛れ込んでいた訳か!・・・

現実の私は、ここ数年、私の講義を取ってくれた学生全員にA+、つまり最高の評価を与えてきた。成績の評価は、提出してもらったレポートで行う方式にして以来だ。学部学生を受け持っていたときは、学期末に筆記試験をしていたので、その点に「下駄」を履かせて、できるだけ落第させないように努力してはいたが、点に応じた成績はつけていた。しかし、大学院担当になってからは、レポートさえ出せば、全員にA+だ。

学生諸君は、これには不服かも知れない。私の自己正当化はこうだ。大学の学問、大学自体は、経済や就職のためではない。今の学生の成績は、企業が学生のスペックとして必要としているものだ。私は、まがりなりにも、半年間一緒に過ごした愛すべき若者達を、商品扱いはしない。

もちろん、反論はあるはずだ。学生自身が、自分の勉学の成果を客観的に知るという意味である。この点は、すまないという他に無い。しかし私は、学問、知の力、それ自体の価値を知っているつもりだ。むしろ諸君には、自分自身の胸に手を当てて、得られたものがなんだったのか、考えてほしいと思う。それで十分だ。

こんな勝手なことができるのも、大学の非常勤が本職ではないからである。いつ馘首されてもかまわないと思っているからだ。その時はその時で、むしろ良いくらいに考えている。これで生計を立てているのだとしたら、また違ったやり方になるだろう。そう言う意味では、別に褒めるべきことでも、誇るべきことでもないし、学生達に私のこういう偏頗な考えを披瀝したことも無い。

この文章は、こんな夢を見たので、急いで書き留めておいただけである。これを読まれた方は、立腹されるに違いない。要するに怠け者の自己弁護じゃないか!!