アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

アナーキスト・プルードンによる権力悪の認識について:大日本三千年紀研究會のための覚え書き

ルソーの人民主権論と、それに基づく民主主義の理論に対するプルードンの批判も鋭く厳しい。

『人民だけが主権者であり、人民は自分自身によってのみ代表されることができ、また法は全体の意思の表現でなければならないということをはじめ、すべての扇動的雄弁家たちが利用する、その他のすばらしい決まり文句を原則的に確立した後に、ルソーは密かに彼の命題を放棄して、わきに逃げてしまう。

まず彼は、集団的で不可分な一般意志のかわりに、多数派の意思を代位させる。それから、国民全部が朝から晩まで公共的事件に専念することは不可能であるという口実のもとに、彼は選挙の道を通って、代表者ないし受託者の指名に復帰する。

ちなみに、これらの代表者ないし受託者は人民の名において法律を制定し、また彼らの命令は法の効力を持つのであろう。

自分自身の諸利益に関する直接的・個人的取引のかわりに、市民は、最大多数の票によって彼の裁定者たちを選択する権能しか持たなくなる』

との批判に、ルソーはいったい何と抗弁できるだろうか。

続けてプルードンは、ルソーの政治理論を『巧妙な欺瞞の助けによる社会的無秩序の合法化、人民主権に基礎づけられた貧困の聖化』であると論罵する。

フランス大革命がナポレオン一世の僭主制に変質し、二月革命ナポレオン三世の僭主制に暗転したことを学んだプルードンは、「人民の政府」が包蔵する危険性を明確に認識し、深い洞察にもとづいてルソーを批判した。

このようにプルードンは、政治権力の内在的法則の正しい認識から人民政府理論を粉砕し、自由よりも平等を優先させたルイ・ブランの強権的社会主義思想を排し、人民の徳性を前提とする結社の論理を論難することによって、生きている人民の心理と行動とに対する比類無き理解力を示した。

アナーキストは、政治権力の暗さ、醜さを鋭くとらえうるゆえに、政治悪ないし権力悪に関して最も透徹した認識を持ちうるのであり、プルードンの数多い労作の中でも、政治を論じた部分が群を抜いてすぐれているのも、全く同じ理由に基づいている。

  「世界の名著42:プルードンバクーニンクロポトキン」(中央公論社・昭和42年)所収「アナーキズム思想とその現代的意義」猪木正道勝田吉太郎より