體充曰(たいじゅういわく)、
今までは親をよく養ふをのみ孝行なりと思へり。
あまねく世俗さやうに心得たると見えたり。
いま先生の教へを聞けば、孝といへるものは、外もなく内もなき無上の妙理なり。
守行ふべき術(じゅつ)をくはしく承りたく候(そうろう)。
師翁曰(しおきないわく)、
元来考は太虚をもって全体として、
萬却(まんごふ)を経ても終わりなくまた始めなし、
孝のなき時なく、孝のなき者なし、
全考図説には、
太虚を考の體段と成して、
天地万物をそのうちの萠芳としたり。
かくの如く廣大無辺なれば、
萬事萬物のうちに孝の道理そなはらざるはなし、
就中(なかんづく)人は天地の徳、
萬物の霊なる故に、
人の心と身に考の全體みそなはりたる故により、
身を立て道をおこなふをもって功夫(くふう)の要とす。
身を離れて考な無く孝離れて身無き故に、
身を立て道をおこなふが孝の全體(ぜんたい)なり。
・・・
わが身は父母の身を分けて受け、
父母の身は天地の気をわけて受け、
天地は太虚の気をわけて受けたるものなれば、
本来わが身は太虚神明の分身変化なる故に、
太虚神明の本體をあきらかにして失わざるを以て、身を立つるといふなり。
太虚神明の本體を明めたる身をもって、
人倫にまじわり萬事に応ずるを、
道を行うといふなり。
・・・・
人間(にんげん)千々萬々のまよひ、みな私(わたくし)よりおこれり。
私は我身(わがみ)をわが物と思ふより起これり。
考はその私を破りすつる主人公なる故に、
公徳の本然(ほんぜん)をさとり得ざる時は、
博学多才なりとも眞實(しんじつ)の儒者にあらず、まして愚不肖は禽獣にちかき人なるべし。
・・・・
至理(しり)を知らざる人は、五倫(仁義禮智信)の道といへば皆外にありて、わが心の中になきものなりと思えり。
あさましき事也。
天地萬物みな神明霊光のうちに、生化(しょうか)するものなる故に、
天地萬物皆わが本心孝徳のうちにあるもの也。
・・・・
さとりたる眼(まなこ)には、内外幽明有無の差別無し、
五倫の道を外と見て厭ひすて、
内外幽明有無の二見をたつるは、
さとりに似たる迷ひなり。
中江藤樹「翁問答」巻之一
神秘思想家としての中江藤樹という視点は、ひょっとすると、戦後の我が国には無いかも知れません。しかし、人智学を学んでいる人間の目で原典を読んでみると、紛れもなく、倫理の根拠としての宇宙的身体論・人間論が展開されていることに気付かされます。そう言う目で眺めると、たとえこれが主流では無かったにせよ、徳川封建制度の下での日本人の思想生活が、急速に身近な、興味深い、自分の問題になってくるのです。