アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

病める蛇

今朝も夢を見た。

巨大な黒い蛇。病んで元気がない。顔も無い。ひとりの女性がちょうど獅子舞の頭くらいの大きさのその頭を両腕に捧げ持つようにして歩む。私にはそれが恐ろしい。背の低い白い迷路が白亜の石材で構成されていて、その迷路越しに蛇が私に近づく。蛇を迷路に誘導すれば、迷路の仲で身動きがとれなくなるに違いないと考える。

次の光景。
私の職場らしい。しかし、鰻の寝床のように長く、床下があって暗い。私はそこで寝泊まりしているようだ。同僚が、蛇が床下にいると告げる。気味が悪いので、急いでその場を去らなければという気持ちと、多少の好奇心。

病んでいるのは自分自身でもある。いつになっても風邪が治らない。微熱が続いている。しかし、37℃は熱とは云わないと、今日、病院で医師に云われた。モーツアルトの『魔笛』冒頭に出てくる巨大な蛇の印象はまだ、生々しい。しかし、私が寝る前に考えていたのは、東電の勝俣会長のことだった。彼になって、詩を書こうと考えながら、眠りについた。勝俣氏は健康かも知れないが、人間としては深く病んでいることは確かだろう。夢の中で、私は勝俣氏になろうとしたのか。しかし、同一化は果たすことが出来なかった。病んだ自分と勝俣氏の病める部分が共鳴しただけだった。私にとって、勝俣氏は、個人を超えた何かの象徴だ。その意味を理解することは、大きな謎解きに等しい。ひょっとすると、宇宙の謎に迫れるかも知れないくらいの・・・。我々は、凄い時代に生きているのに、その意味をまだ、きっかけ程度にさえ理解していないのだと思っている。

今日は、熱を押して働き、巨大周期(666)の結晶を発見した。おそらく今までに知られた中で、最も大きな周期性の結晶である。私はやはり、優秀な錬金術師なのだ。それを自分で認める勇気が無いだけなのではないのか。現実を見よ、と云われているのかも知れない。論文化出来るのは、来年になるだろう。少なくともそれまでは生き延びなければと、いつも思う。何年かに一度、大きな発見があり、そのたびに、これを報告するまでは死ねないと思ってきた。しかし、最近は、そういう良い意味での我執が薄れてきている。より大きいターゲットを見つけてしまったせいか。