アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

佐藤優 吉野勉強会(5/20−22)に参加した

この件は、きちんと書くつもりだったが、時間が過ぎて忘れても困るので、とりあえずメモを取っておく。
19日(木)の夕方に車で職場を出て、東名高速を走り、20日(金)明け方の三時に「宝の家」旅館に着いて、車内で仮眠。
金峯山寺蔵王堂前の公民館のようなところが勉強会場だった。初日の佐藤さんは、少し疲れたような堅い感じで現れた。二日目の朝は、リラックスして機嫌良く現れた。三日目、最終日は、興に乗っているようで、講義の展開にノリを感じているようだった。初日、聴講者の積極的な参加を歓迎する旨、話の最中にでも質問してくださいと云われたが、非常に集中した話し方なので、とてもとても話の腰を折るようなまねは出来ない。結局誰も質問はしなかったと思う。蔵王堂での朝夕お勤行に参加出来たが、これもすばらしい体験だった。二日目、佐藤さんの後輩の神学生4人と佐藤夫妻、週間金曜日の担当編集者が茶店に入るところだったので、勇をふるって私も末席に座らせてもらい、くず餅を食べながら、佐藤さんの座談を聞くことが出来た。これが面白かった。ある参加者が、佐藤氏は天才だと云っていたが、あながち誇張ではない。月産2千枚という考えられない筆力もうなずけると思った。イスラムの現況とキリスト教神学、教会の事情等、記憶力と博識は並大抵のレヴェルではない。しかし、さすがに遠慮してしまって、積極的に話しに加わる勇気もなく、もっぱら聞き耳を立てるのみだった。

最終日に参加者が紙に書いた質問に答えるという時間が設けられ、私は実質的に二つの質問を書いてしまったので、一つ目は答えてもらえたが、二つ目は無視(?)されたと思った。一つ目は、「国体とは、民族の霊性と理解して良いか?」と言うものだったが、民族の霊性ではない。もっと実体的なものである、とのことだった。哲学的には実名論の問題であるが、今日は(時間がないので)それには触れない、とも。これは今思うに、私の二番目の質問に関しての答えだったかも知れない。それは、「天皇と民族霊の関係をリアルなものと考えたいが、どう思うか」という、直接には答え難いあぶない問いだったのだ。

神学専攻の元外交官で、旧ソ連邦の崩壊を内部から体験した日本人と言うだけでも、一度直接お会いしてその謦咳に触れたいと思っていたが、今回は311と日本人を直接のテーマとして佐藤さんが語ると云うことなので、これは万難を排してでも行かなければ後悔すると思い、仕事も経済も顧みず参加した。やはり期待通り、十分その価値はあった。明日は早いので、今日はこの辺で。また機会を改めて書かねばならない。いろいろな意味で底が知れないような人物だが、またこのような機会があれば、参加してみたいと思う。

佐藤夫妻は猫を六匹飼っているらしい。佐藤さんは自分でも書いていたと思うが、見かけが恐い。やたらとやくざの物まねをするのが好きで、それは笑いを取りたいかららしいのだが、あまりにも真に迫っていて誰も笑わないのであった。