アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

マイクロシーベルト ミリシーベルト とは?

報道では、生体に有害な放射線の放出量を、マイクロシーベルト、ミリシーベルトの単位で表現しているが、ピンと来ないし、枝野氏や原子力関係学科の大学教師の云う安全と言う言葉もどこまで信用すべきか、国民は大いに困っている。そう言う私も、私大の講義で、核物理の初歩を教えたことがあるので、自分の復習の意味も含めて、(潜在的?)被曝者としての自分たちにとって重要なこの単位の意味をここでメモしておこう。
まず、シーベルトの意味するものは、生体に有害な放射線エネルギーの(被曝者単位体重当たりの)絶対量であり、時間当たり何ミリシーベルトか、何マイクロシーベルトかが明かされていない報道は意味がないということである。アメリカ合衆国のNational Council on Radiation Protection(放射線防護に関する国営評議会)の推奨値としては、人生のどの1年間においても、被曝総量としては、5ミリシーベルト以下が望ましいと云うことになっている。ちなみに、ミリシーベルトマイクロシーベルトの1000倍である。原子炉付近の観測値が現在(3月18日夕方)1時間当たり1000マイクロシーベルト単位で報道されているため、既に1時間当たり数ミリシーベルトあるというわけで、原子炉付近に1時間いるだけで、既に年間の許容量を超えてしまうことになる。
単なるシーベルト(sievert, Sv)は、ミリシーベルト(mSv)の1000倍、ミリシーベルトマイクロシーベルト(μSv)の1000倍である。
シーベルトは、種々の放射線の生体への有害性の違いを考慮した値であり、放射線エネルギーの単位質量(重量)当たりの絶対値自体はgray(Gy)の単位で表される。ここで 1 Gy = 1J/kgである(ここでJはジュールで熱量・エネルギーの単位)。この単位grayに、更に、相対的生体有害効果係数RBE (relative biological effectiveness) を掛けた値がシーベルトである。ここで、x線(レントゲン)や電子線のRBEは1で、低速中性子線(核分裂反応の一方の反応物)のRBEは5、α崩壊(ヘリウムの原子核の放出を伴う放射性同位元素の自然崩壊)で放出されるアルファ線(ヘリウム原子核)のRBEは10になる。RBEが大きいほど、生体へのダメージが大きいというわけで、この値を考慮した値が、シーベルトである。
3000シーベルト(非常に大きい値)では被曝者の半数が死ぬと言う(アメリカの物理学の教科書によるデータだが、その根拠は何か、占領軍が広島、長崎で採取したデータであるとしか考えられない)。しかし、この放射線エネルギーを人体の温度上昇に換算してみると、驚いたことに、1/1000度にしかならない。熱エネルギー(分子、原子の振動、運動、回転のエネルギー)と異なって、放射線はエネルギーが非常に小さな領域に集中しているため、直接人体・生物のDNAや、細胞レヴェルでのダメージを与え、いわば生体の根本のブロックを破壊し、その再生機能を損なうのである。
放射線源は、放射性同位元素で、いわゆる「死の灰」の塵、ダストに含まれるので、これらを呼吸、食事などを通じて体内に摂取しないことが重要である。原発事故では、死の灰(報道統制・自己規制もあり、今回は使われない模様)がどこまで届くかが問題だ。アメリカなどは、(当然だが)自分の国に届く可能性を心配している。
以下はシーベルトに関連して、授業で学生に話したことの一部である。広島、長崎では、アメリカによる原子爆弾の投下によって、核爆発(制御されない核反応で、連鎖反応・雪崩的核反応)による多量の放射線を直接被曝した日本人(そして外国人)も多いが、爆心地で死の灰を体内に摂取し、時間が経過してから白血病、癌によって亡くなった方も多かっただろう。広島に投下された原子爆弾ではウラン235が使われたが、長崎ではプルトニウム239が使われた。長崎用の原爆では、ウランが調達出来なかったのでプルトニウムを使ったと云うことになっている。だが、核爆発の「実験」として、両者で異なる原料を使ったのではないかという疑いを持ってしまうのは、当然である。アメリカによる人類史上まれに見る最大の戦争犯罪・一般人大虐殺である。しかし、日本ではその点を口にするのもタブーであるらしい。原爆の話では、「戦争は悪い、戦争をした日本人が悪い、反省しましょう、二度と戦争はいたしません」という一般論に話が持って行かれて、アメリカの犯罪を追求する公の番組・報道・(文学も?)は私の知る限り皆無である。実は戦後一貫して、日本の言論は何らかの統制と自主規制の下にあったのではないか。この点はユダヤ人とは大違いで、彼らは戦後一貫して被害者としての自分たちを宣伝し続けることに成功してきた。対するに日本人は戦争加害者としての自分たちを問題にするばかりだった。これは民族性だけの問題なのか。反米的な言辞が、マスコミにおいては厳重な監視・規制・隠然たる懲罰の対象にされている(米国CIAとその手下の日本人が直接・間接的に関わる)というのは、私の実感でもあったが、現在ではそれは多くの日本人の共通の認識になってきた。
売国・米国隷従・暗愚の管総理が政権を手放す直前のタイミングでこのような事態になったのは日本人として口惜しい。対等の外交を標榜する小沢氏が総理だったら、アメリカの支援だけではなく、ロシア・中国からのエネルギー支援等も、素早く、効果的に受け取ることが出来たのではないか。極東平和再構築のチャンスとして、むしろこの逆境を利用することが出来たのではないか。