アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

安楽の門(大川周明)

12月は用件が立て込んで、日記をつける余裕もない日が続いた。「安楽の門」も読み終えて一週間以上経ってしまったが、未だまとめも書けていない。その人となりを知る上でも、大川周明の思想への入門としても、初めにこのような率直な著作に出会えたのは良かった。これは戦後の著作であるが、そこはかとないとぼけた味わいがある上に、その宗教思想を率直に物語っていて、その次に読み始めた極めて時局的な「日本二千六百年史」ではむしろ背後に隠れて見えにくい大川の思想の本質が極めて具体的に語られている。
私が読んだのは筑摩書房の近代日本思想体系第21巻「大川周明集」に収められたものであったが、その返し扉に掲げられた大川の近影が素晴らしく、よくそのひととなりを伝えていると思う。私の好きな友人(と言っても何年も会っていないのだが)の上島君によく似ていることも、親近感を増加させた。安楽の門を読み始めて、まず初めに感じたことは、なんだかすごくさわやかな人だなあ、ということだった。文は人なりと言うが、その印象は的を得ていると思うのだ。これだけは断言できるが、私心の人ではない。
最初の宗教との出会いはキリスト教であったが、キリスト自身には深く共感できても、近代的な合理主義者としての大川は信者にはなることが出来ない。大学では、西洋哲学・宗教哲学を学ぶ。ここで、カント、ヘーゲル、「シュライエルマッヘル」の概要が述べられるが、実に見事な要約である。私のような素人にも、大川が頭の冴え渡った人だと云うことが伝わってくる。大川は、インド哲学ヘーゲル宗教哲学をはるかに先行していることを知るが、それにも関わらず、西洋の思想家たちが東洋の宗教思想の後進性を指摘して満足していることに不満を抱き、インド哲学研究を志す。
しかし、神保町の本屋の店頭で偶々手にしたサー・ヘンリ・コットンの「新印度」により、インドがイギリスの植民地支配の下で窮乏を極めていることを知ったことが、後の大東亜戦争の理論的な指導者としての思想家大川誕生の一大転機となった。この頃、実に不思議な偶然の出会いがあって、大川は、印度独立運動の志士をかくまうことになる。この辺の記述も、妙に牧歌的で、思わず吹き出してしまうようなエピソードが続くので、興味のある人は是非読むことをお奨めしたい。何しろ、大川の家の目の前が交番(当時もそう言ったかどうかは知らないが)で、カレーが食いたいというインド人のお使いで都内の大川の家からわざわざ横浜まで香辛料などを買い出しに出かけている。中村屋にかくまわれたボーズは中村屋にカレーの作り方を伝授して、今の新宿中村屋のカレーの基になっているそうだが、大川も、かくまったインド人にこうしてカレーの作り方を習ったので、後々までもカレーを作り、皆に好評だったと自慢している。しかし、カレーの匂いがお向かいの交番にまで届かなかったのか、読んでいる私の方が心配になってしまうのだった。
そして、肝心の大川の宗教観であるが、SAASの書きかけの記事でメモ書きし始めた私の考えを肯定してくれる内容で、驚いた。その点を書くべきなのだが、今日は疲れていて駄目だ。しかし書いて一月もしないうちにその内容とシンクロする思想に出会えたことは、特筆に値する。

日本二千六百年史

日本二千六百年史