アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

初夢で蛇を殺す

総督フェストスは大声で言った。
パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ」(使徒行伝)
私もこのくらいのことが言われるように努力しなければ。
これが私の年頭所感。

初夢で蛇を殺す。
ヤマミノ族(アマゾン奥地の裸族)は、密林で蛇に出会うと必ず殺す。
諸星大二郎に倣えば、彼らこそ、原罪以前の人間である。
さらに、シュタイナーによれば、エデンの園で女を騙した蛇こそ、ルシファーであると言う(出典が思い出せないが)。
だとすれば、ヤマミノ族こそ、ルシファーの誘惑を斥け続けて、知恵の木の実を食べることなく、二十一世紀の現在まで生き残った人々なのかもしれない。
しかし、私が初夢で彼らに倣ったのはなぜだろう。
私自身の課題は、唯物論が現代の最大の迷信であることを示すことである。
おこがましく、偉そうなことであるが、自分なりの使命として、どのようにこの任務を遂行すべきか、暗中模索を続ける他にない。ちなみに、出口王仁三郎唯物論などと言う武張ったような言葉を嫌ったのか、「物質かぶれ」という言い方をしているようだ。これはすばらしく的確な造語だと思った。
しかし、先ほどの問いに戻れば、唯物論はルシファーというよりは、アーリマン的な衝動の発露であって、私がルシファーと対決するというのは、意図するところとは違背する。そこで思い浮かぶのが、薔薇十字的瞑想法における白い蛇と黒い蛇がとぐろを巻く杖という象徴であった。ここで、白い蛇がルシファー、黒い蛇がアーリマン、そして中央の杖こそがキリストであるとすれば、うまく説明がついて、私としては何となく満足できる。そして、もしそうだとしたら、私が夢で殺した蛇は、黒蛇でなければならないが、そのあたりがうまく思い出せないのだった。