アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

楽しい人智学 回教概論

今度時間を作って書くつもりだが、新年早々インドに出張していた。
大川周明「復興亜細亜の諸問題」を戦前に出版された古本で入手しておいたので、マハトマ・ガンジー大学(インド南西部ケララ州)の天井に大きな扇風機が旋回している部屋で、会議の合間を盗んで読み始める。これは私なりの大川への鎮魂の行為なのだ。ヒンズー教徒はもちろんだが、ガンジーの名にふさわしく、イスラム教徒のインド人も仲良く学問をしている。会議専属のカメラマン(若い)の父親もその手伝いに来ていた。私が日本人だと分かると、三島、川端、谷崎を読んでいると云う。たくさん持っているという。三島と川端を間違えていたが、切腹の格好をしてみせた。谷崎は「鍵」が好いなどと云う。その初老の男性が、ムスリムなのだった。ムスリムでも、われわれのイメージするホメイニ師のような、厳格な戒律によって享楽的・性的な文化を否定する人ばかりではないという、当たり前のことを知る。インドのムスリムは、イランのムスリムとはまた違うのかも知れない。その初老の男性が、福岡正信の自然農法を実践して、もう二十年になるという。私が感心していたら、「今度は私の家に来なさい、山や自然を案内しよう。象も虎もいる」と云ってくれた。私は今少し本気でこの申し出を実現する方法を考えている。
会議に参加している中に、人目をひく美しい色白の若い女性がいて、インド人にもこんなに色の白い人もいるのかと思っていた。会議の中日に、皆でボートに乗って広大な美しい南インドの田園を楽しむ時間があり、巡り合わせでこの人の隣の席になった。その美人がイラン人なのだった。母親と、友人と三人で、自費で来ているという。会議に出る前に、タージマハールと、ジャイプール(だったか)で観光してきたそうだ。この人から、インドの感想を聞くことが出来たが、見るからに貴族的な感じのこの女性は、裸足で歩き回る人々や、ゴミ箱をひっくり返したような町中の騒がしい様子にうんざりしたようだった。又、その前夜の晩餐でみることの出来た伝統芸能の舞踏にも激しい違和感を感じたらしい。私自身は、南インドの伝統舞踊に幻惑され、DVDまで買って帰って、このところ毎晩鑑賞しているので、彼女の感じ方に共感を示せなかったのが残念だった。ボートの小旅行の後、主催する教授も会員だというクラブの芝庭で、カレー(四日間三食カレーだった)を食べたり、ビールを飲んだりした。私の町のよく行くカレー屋がインド人の経営で、そこで流されているインド音楽のプロモーション・ビデオを見るのが楽しみな私は、インド人の踊りと歌は実に奇怪で好いと常々関心していたのだが、この晩餐でも、マイクの前で、歌ったり、それに合わせて踊ったりする学生・参加者がいた。遠くから観察したところによると、イラン美女には、それも気に入らなかったらしい。やはり、イランの回教は戒律が厳しく、そのような南インドの人々のおおらかな人生肯定的な享楽性にはついて行けないのかも知れないと憶測をたくましくしてしまった。私自身は、華麗な日本の舞を披露し、喝采を浴びたことは云うまでもない。又、彼女は、「英語ではうまく表現できないけれど」と断りながら、「かつて、インドはイランのために(for)存在したこともあるのです」と云う。ムガール帝国の時代に、インドが回教徒に支配されたことを云いたかったのだろうか。だとすればイラン人のインド観はなかなか強行だ。勉強しなければ。その後、田中宇さんのサイトで、今後イランが中東の盟主になるはずだという意味の記事を読み、彼女の強気もその辺に関係しているのかも知れないと合点がいった。
帰国後、大川の「回教概論」の戦前に出た古本の見積もりが届いており、四千円程度だった。しかし、今年度の予算が逼迫しているので、4月まで待つべく、涙をのんでいたところ、出入りの業者がオフィスに来て、見積もりのつもりなのが、本屋が発注と間違えたらしく、本が届いたと言って届けに来た。そういうわけで、私的な大川三部作、「復興亜細亜の諸問題」、「亜細亜建設者」、「回教概論」がすべて出版当時の本でそろったので、嬉しい。少しずつ読もう。

回教概論 (ちくま学芸文庫)

回教概論 (ちくま学芸文庫)