アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

地球自然誌における核エネルギー:今問題の核崩壊熱こそが生きている惑星・地球の生命の源である。しかし、人間界のものでは無い。原子力発電は廃止ではなく禁止すべきものである。

われわれが地球上で利用可能なエネルギーは、大きく分けて、次の三つに分類できるのではないかと思います。
(1)太陽における核融合反応に起源をもつもの、(2)地球内部の放射性同位元素の核崩壊に起源をもつもの、(3)月からの潮汐力に関わるもの?

(1)石油、石炭、天然ガス、その他の化石燃料は、遠い過去、(おそらく地球を恐竜が支配した時代に)植物によって蓄積された太陽エネルギーです。植物が、水と二酸化炭素を原料にして光合成を行い、太陽エネルギーを炭素・水素・酸素の化合物として地上に蓄積しました。それらの化石燃料を燃焼して、再び二酸化炭素と水に分解した際に発生する熱エネルギーをわれわれは利用していることになりますが、この際に発生する二酸化炭素が「温室効果」によって地球温暖化を促進するという主張が「地球温暖化説」です。バイオマスも、植物が光合成によって蓄積した太陽エネルギーを利用するという意味では、同じ事です。風力も、基本的に太陽からの輻射熱によって暖められた大気の対流等が起源だと言えるでしょう。水力発電は、水の重力によるポテンシャルエネルギー(高度差によるエネルギー)を利用しますが、雨が降って川になるのは太陽熱起源の気象現象ですから、この分類に入ります。太陽光発電は云うまでもありません。以下の図は英語表記ですが、眺めていると何となく分かると思います(以下で図をダブルクリックすると、拡大して見やすくなります)。



図1 光合成による化石燃料の形成と燃焼によるその消費



図2 温室効果の主張


(2)地熱(発電)は、以下で述べるように地球内部で進行する放射性同位元素の崩壊熱によるものです。
(3)潮力発電は、潮流を利用するわけですが、潮流の起源をどう考えるべきか、調べてみないと、私には、まだ、断言できません。調べて見ます。いずれにしても、人類が利用しているエネルギーの源をたどると、その殆どが、天体としての太陽と地球の生命力の源である核反応に至ることが分かります。

しかし、核反応とは何か。

核反応を人類がはじめて発見したのは、今から百年ほど前、1896年のベクレルによる放射能の発見に遡るといわれています。その名前を記念して、放射能の単位にベクレルが使われています。物質の基本単位である原子は、重い原子核と軽い電子から出来ています。例えば、水素原子核の重さは、電子一個の約1800培です。そして、水素原子核の大きさをパチンコ玉程度に拡大したとすると、電子の飛び回る範囲は甲子園球場くらいになります。つまり、重い原子核の周りに、電子が飛び回っているのですが、その原子を外から見ると、なにやらおそろしくスカスカなものである。この事実は、1911年、ラザフォードが発見しました。

しかし、ここに、物質の秘密のすべてが隠されているとも言えるのです。この電子が原子核の周囲を、惑星が太陽の周囲を回るように回っていたとすると、古典物理学に従えば、電子はどんどんその運動エネルギーを光に変えて放射し、すぐに原子核に落ちてしまい、原子は存在できません。この問題は、1926年、シュレディンガーによる量子力学の誕生によって解決されました。すなわち、電子は、パチンコ玉のような古典的な粒子ではなく、一種の波動として原子の周囲に安定に存在しているというのです。ギターの弦をつま弾くとき出来る定在波をイメージしてみても良いかも知れません。減衰しない波として電子は原子核の周りで踊っているのです。

しかも、電子が一種の波であることから、原子には空間的な構造が生まれます。それは、太鼓を叩いた時に、太鼓の皮の上に砂をまくと現れる美しいパターン(と言っても、私も実際に見たことはない)を想像してもらうと良いのですが、波動としての電子も同じように、原子核のまわりに美しい構造を形成するのです。この構造は、しかし、電子の存在確率が形成する構造と云う、われわれの日常の存在論とは異なった解釈が必要になり、アインシュタインも困惑したという話につながっていきます。ここで、太鼓の皮の振動が構造をつくるには、皮が太鼓の枠に固定され・境界づけられている必要があることと同様に、原子核が作るポテンシャル(電子を引きつける場)の枠が、このような原子の構造を作る原因になります。この原子の電子構造の多様性が、われわれの住む物質世界の多様性の源のひとつであると云っても良いのです。

二十世紀になって、核エネルギーを発見するまで、人間が使っていたエネルギーは、この、原子を形作る電子が物質間において配列を変えること(化学反応)によって放出されるエネルギーだったのです。すなわち、図1の化石燃料の燃焼は、酸化という化学反応ですが、ここで起きていることは、あくまでも、分子間において電子が居場所を変えたり、移動したりすることで放出されるエネルギーが利用されているだけだったのです。その際、原子核自身は、全く変化することはありません。

原子核自体も構造を持ち、陽子と中性子が非常に強く結びついたものです。この原子核内部の陽子や中性子間の結合エネルギーは、電子が原子核と結びつくエネルギーの百万倍以上あります。従って、原子核自体は人間の通常の営みで壊れるような柔なものではなく、非常に安定なのです。しかし、逆に言えば、この非常に強力な結合エネルギーが解き放たれたとき、今まで人類が知らなかった強烈なエネルギーが放出されてしまうことになります。これが核エネルギーの本質です。そして、膨大なエネルギーを放射しながら核が反応し、壊変することで、この宇宙の物質進化が進み、現在の宇宙の姿もある。すなわち、核反応は、本来宇宙や恒星内部で燃えさかる炎であって、中世的な観点に立てば、核エネルギーは天界の火以外のなにものでもありません。

一方、地球内部に眼を向けてみると、そこでは、表1に示すように、地球の年齢に匹敵する半減期をもつ放射性同位元素が核崩壊を続けることで、高熱が発生し、鉱物・金属を溶解し、図3にあるようなマントル層の対流を引き起こしています。これらの元素は、福島第一原発事故の行方を注視してきた多くの日本人にはもはやなじみ深いものでしょう。今、福島の現場で懸命に冷却しようと努力されているものと同様の核崩壊現象が地球内部では現在も進行中であり、それがいわば地球の生命エネルギーでもある。しかし、中世のダンテのような世界観に立てば、この地球内部の核崩壊現象こそ、地獄の業火以外の何ものでもない。天界の火か、地獄の業火か、いずれにせよ、人間界のものでは無い。原子力にまつわるエピソードが、どこか悪魔主義的な、救いのない、際限なく生け贄を要求する古代の神々のような雰囲気を醸し出すのは、決して云われのないものでは無いと思う。人類は原子力という悪魔を召喚してしまったのでしょう。


表1 地球内部における放射性同位元素による発熱量。 鉛筆書きは46億年前の値。


図3 マントル対流層によるプレートの沈降する境界と隆起する境界。マントル層の対流がプレートの移動を担っていることが分かります。その移動速度は年間わずか5-10cmにすぎないのですが、何万年もかけて、造山運動をもたらす結果になります。


図4 プレートの分布とその境界。わが日本列島は、太平洋プレート・フィリピンプレートふたつの沈降する縁に沿って展開し、日に日に新たに国産みの真っ盛りであるとも言えます。ここに原発を置けば何が起こるか、自ずと明らかです。

原子力は、ウラン原料の採掘、ウラン燃料の製造、原子炉の維持、運転、解体、そして使用済み核燃料の処分に至るまで、あらゆる段階で、天国に行くべき善良な人びと苦しめる一方で、誘惑に負けて悪事に荷担する多くの小利口な人間を生み出す。この地上に地獄を実現するために、これほど有効な手段は他にない。

日本人は、原子力の平和利用という嘘を道破した(見破った)。原子力発電は、もはや廃止ではなく禁止すべきものであることが明らかになった。