アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

政治と神秘主義に関する断簡


↑ 神道のこと(注)を言ってるのだろうか? 神秘主義(異端)は西欧ではトマス・ミュンツァーを筆頭にむしろ本来、革命・叛乱の側にあるとぼくは思う。中江藤樹にも神秘主義はあり、それ(を陽明学と呼んでみれば)は大塩平八郎蜂起にも連なる過激な思想だ。

合理主義→民主主義、神秘主義ファシズム、って言う単純化があるとすれば、それは単なる俗説ではないだろうか? 前者が新自由主義に姿を変えて猛威をふるっているのが現在でしょう。戦前右翼の神秘主義にはむしろ反(欧米)帝国主義の側面が強かった。歷史は簡単に割り切れるものでは無いと思う。

それから(ぼくに言わせれば)、神秘主義も正體を明かせば、それこそが合理主義であるという逆説がある。「合理」が支配する領域(限界)をどこに定めるかと言う問題にすぎません。

戦前の右翼思想家たちが進化論を批判していた事は恐らく現在では殆ど知られていない(忘れ去れられた。むしろ葬り去られた!)。「弱肉強食の進化論的社会觀」への批判があった。合理主義→自然淘汰=弱肉強食の進化論的社会觀→新自由主義。今もこの「合理主義的了解」が人々を暗黙裏に支配している。

皮相な合理主義(つまり唯物論!)によれば、人間も「進化論」に従う動物の一種にすぎないという事です。その点が、「神秘主義」との最大の対立点だと思われる。

(注)神社本庁および日本会議の安倍政治(ファシズム)への積極的な荷担を指しているのかも知れません。例えば、幸福の科学、原理運動(統一教会)等も、広義の「神秘主義」にくくる向きもあるかも知れません。これらの「宗教」の皮を被った政治運動(背後にアメリカ・CIAなどの活動もあるに違い無い)が、真正の神秘主義と同列に扱われてはたまらないので、上のツイート(先日ツイッターで書いたものです)になった次第です。