物質の迷宮。迷宮の深奥部には怪物が棲むという。迷宮のあらゆる細部は探索し尽くされ、怪物は数百年昔、退治されたはずであった。しかし今となれば、正直に、こう言うべきなのだ。われわれは遂に怪物に遭遇し得なかった、と。
不在の王。その空虚な王座の上に、われわれはエネルギーを、熱力学を、つまり単なる変分原理の支配を見出したのみであった。ただ時間だけが遍在する。連続性と粒子性、排他原理が可視化するこの世界で、われわれは明晰な空虚の椅子に鎮座する無明の種子から流出される権力の支配に甘んずる他はなかった。
物質の迷宮。それは死と同様、その中に飲み込んだものすべてを等価にする。それが近代というものではなかったか? 何者もそこに入り込めぬごとく、何者もそこから出ることはできない。われわれの知己は科学者、すなわち結晶構造の律儀さをもつ絶対秩序の顕現=バスチーユ監獄を恣意のままにした悪質な獄吏の末裔だけだった。
あらゆる実在の結晶が導入せざるを得ない原子配列における欠陥こそが物質世界の活力を保証しているように、科学者=迷宮の獄吏が勤勉にも建設し続ける世界の構造的欠陥こそが、今やわれわれの歴史の原動力なのである。見給え、迷宮の行き止まりを! あらゆる細部に用意された行き止まりをもつこの構造の完璧さを!
肉体こそが迷宮の暗喩である。それでいいのだろうか? しかし真相はこうだ。迷宮の内部にとどまる限り、われわれの宇宙、肉体は手に入らない。自由は血と骨と肉を着ている! 迷宮のあらゆる細部にまで行き届いた行き止まり(つまりは迷宮の定義)を破壊する斧。ギロチンの刃の滑落よりも速く、星座に彩られた肉体から首が落ちていく。