アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

「人智学、その本質および哲学的根拠について」 ベルン 1920年(大正9年)7月8日;独逸語の勉強 #12

Wendet man sie an,
indem man alle mögliche Willensanstrengung hinkonzentriert auf einen solchen selbstgemachten Willensinhalt,
dann erringt man nach einiger Zeit,
このように自分で作り上げた意志内容に可能な限りのすべての意志的努力を集中させるように力を行使すること、
しばしの後、われわれには、

- wie gesagt,
ich kann nur das Prinzip andeuten,
das Genauere können Sie nachlesen in meinen Büchern -
(先に述べましたように、
ここではその原理を表現することができるのみですので、
より正確には私の著書をご参照ください)

die Möglichkeit,
sich in anderer Art als bloß intellektuell an die Grenzbegriffe der Naturwissenschaft,
an solche Begriffe wie Stoff und Kraft und dergleichen
- ich könnte auch andere anführen -
zu machen.
単に知的であるのとは異なる仕方で、
自然科学の限界領域、
物質と力等々(それ以外でもよいのですが)の概念に、
とりかかることが可能になるのです。

Dann kommt das folgende:
Man spekuliert nicht mehr,
man philosophiert nicht mehr an diesen Grenzen des Naturerkennens,
sondern man erlebt etwas an diesen Begriffen.
つまりこうなるのです。
もはや、
この自然認識の限界について
推測すること、
哲学するのではないのです。
これらの概念に関して、
われわれは何ごとかを経験するのであります。

Gegenüber diesen Begriffen geht etwas in der Seele vor,
das Erlebnisse umfaßt,
die wir sonst nur erleben,
meinetwillen wenn wir äußerlich lieben oder wenn wir sonst im Kampfe des äußeren Lebens drinnen stehen.
これらの概念に対して、
われわれの魂の中で何かが生じます。
それは経験であって、
たとえば、
われわれがうわべだけで愛する場合も、
外的生活の闘争において内的に経験するものも、
包括するような経験であります。

Darauf kommt es an,
meine sehr verehrten Anwesenden,
親愛なるご臨席の皆さん、
大事なことは、
daß wir,
indem wir von aller äußeren Welt absehen,
外的世界のすべてから意識を遮断することによって、

in unserem Inneren etwas durchmachen,
das uns also in eine Realität führt,
われわれの内部にもう一つの現実性をもって生じる何かを経験することであり、

die ebenso intensiv für uns ist,
ebenso intensiv für unser Bewußtsein sich darlebt wie sonst nur die äußere Realität,
die wir mit unseren Händen und Füßen berechtigt berühren und bearbeiten.
そして、
その際、
われわれが意識の中で経験するその現実性は、
手足を動かして外的現実性を感じる場合と同じくらい確実な強度を持っているのであります。