26
・・・
あなたがたは集まったとき、
それぞれ詩篇の歌をうたい、
教え、
啓示を語り、
異言を語り、
それを解釈するのですが、
すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです。
27
異言を語る者がいれば、
二人かせいぜい三人が順番に語り、
一人に解釈させなさい。
28
解釈する者がいなければ、
教会では黙っていて、
自分自身と神に対して語りなさい。
29
預言する者の場合は、
二人か三人が語り、
他の者たちはそれを検討しなさい。
30
座っている他の人に啓示が与えられたら、
先に語りだしていた者は黙りなさい。
31
皆が共に学び、
皆が共に励まされるように、
一人一人が皆、
預言できるようにしなさい。
32
預言者に働きかける霊は、
預言者の意に服するはずです。
33
神は無秩序の神ではなく、
平和の神だからです。
☆
パウロ「コリントの信徒への手紙 一 第十四章」より「集会の秩序・原始基督教信徒集団の霊に満ちた雰囲気」http://d.hatena.ne.jp/longtonelongtone/20131218/1387362225 …「一人一人が皆、 預言できるようにしなさい。」異言、預言が飛び交う初期キリスト教会。能動的信仰の形。極めて”新興宗教的”でもあります。
↓(。・ω・。) アメリカには(韓国にも?!)、(怪しげな)基督教系新興宗教(テレビ宗教かな)が(おそらく無数に)ありましたが、パウロを読むと、その教会観・信仰共同体観自体に、新たなセクトを生み出す母胎が含まれていることに気付かされます。