アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

”経文読み”カウツキー・”背教者”カウツキーによるマルクスのプロレタリア独裁解釈

《レーニン》
プロレタリアートの独裁のうちに、
まさにマルクス学説の本質があることは、
周知のことである。
「この見解」は、
カウツキーによれば、
カール・マルクスのたったひとつのことばに立脚している」
即ち、
マルクスが1875年にいちど手紙のなかでつかったプロレタリアートの独裁に関する片言」(*)
「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、
前者から後者への革命的転化の時期がある。
この時期に照応してまた政治上の過渡期がある。
この時期の国家は、
プロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもあり得ない。」

《カウツキー》
文字通りにいえば、
独裁という言葉は、
民主主義の廃棄を意味する。
だが、
もちろん、
文字通りに取れば、
この言葉は、
また、
どんな法律にも束縛されない一個人の単独権力をも意味する。
この単独権力が専制政治と違う点は、
それが恒常的な国家制度と考えられずに、
一時的な応急策と考えられていることである。
プロレタリアートの独裁』、
したがって、
一個人の独裁では無く、
一階級の独裁という表現だけでも、
マルクスが、
この場合に、
文字通りの意味での独裁を念頭に置いていたということを、
排除している。
マルクスがここで語っているのは、
”統治形態”のことでは無く、
プロレタリアートが政治権力を獲得した場合には、
どこででも、
かならず起こらなければならない”状態”のことである。
マルクスがここで統治形態を念頭においていなかったことは、
彼が、
イギリスやアメリカでは、
移行は、
平和的に、
したがって民主主義的な方法で、
実現されうる、
という見解をもっていたことによって、
すでに証明されている。

(*)マルクス「ゴーダ綱領批判」

・・・カウツキーはマルクスをどうやって平凡な自由主義者に変えたか?
レーニン著 平沢三郎訳 「プロレタリア革命と背教者カウツキー」(国民文庫107、1953年3月発行)