アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

日記(改)

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墜ちてきた闇のなかの仄かな光
シューベルトのピアノ・トリオ
第二番変ホ長調
意識のなかに存在する音楽の全体
しかしそのとき譜を書くシューベルト
”この音”の行方を知らなかった
つまりシューベルトも私も墜ちてきた闇のなかで
同じ生を生きている
時間こそがわたしたちの悲しみを盛る器なのです


蕎麦屋でH氏が
漱石の”こころ”を読んだ話をした
若い頃に読んでいれば感動できたはずだ
なぜならこの作品のテーマは死だからだと言う
自分の青春には死の臨在はなかったのだ
だから死が憧れでもあり得た
そういう口ぶりだった
つまり今の自分には死の気配がわかるのだという暗示に
私はおびえた
”こころ”は近代人のエゴイズムの悲劇を描いた作品であり
今も同じ問題をわれわれが心に抱いたままであるからこそ
普遍性のある傑作なのだという
私の抗弁も無力だった

はじめに耳鳴り
それから突発性難聴
そして深夜に救急車を呼ぶ胃の激痛
今は食事に困難があり
もともとやせすぎの彼がさらに五キロ痩せてしまった
原因は不明だという

路上で神経が震えている
孤独な走路の涯てに追いついた幻影
それは死の後ろ姿だったのか?


昨日の夜も
いつまでも終わらない地揺れに揺すぶられる
私は腰をあげなかった
東京大空襲
焼け焦げた死体を見ても何も感じなくなった
木原孝一を思った


散歩する対岸の土手に
草を食む山羊たちを見た
彼らには悩むところがないように思えた
しかし双眼鏡の視野のなかで
山羊たちの首には首輪があり
地面とかれらを結ぶものは細い鎖だった


絶望できる者は幸いである
天国は彼らのものである
絶望への情熱をもつ者たちは