アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

ヘーゲル”哲学史講義” A.プラトンの哲学  三.精神の哲学 「美とはなにか」

もう一つ、
プラトン哲学の有名な側面として美学の問題、
つまり、
美とはなにかの認識の問題があります。
簡単にふれておきましょう。

ここでもプラトンは、
美の本質が知的なものであり、
理性的な理念であるという思想の急所をおさえています。
かれが精神的な美というとき、
それはこう言う意味です。
美そのものは感覚とはどこかしらべつの場所にあるものではなく、
まさに感覚的な美である。
感覚的において美しいものがまさに精神的なのです。

美についても、
プラトンの理念(イデア)一般についてと同様のことがいえるので、
現象するものの本質ないし真理が理念(イデア)であるように、
現象する美の真理もまさしく理念(イデア)です。

物体との関係は、
欲望の関係ないし快適さや実益の関係にすぎず、
美との関係ではない。
たんなる感覚物ないし個物との関係です。

美の本質は理性の単純な理念が物として感覚的に存在するところにあるので、
その内容は理念以外のものではない。
つまり、
本質的に精神的なものです。

(α)美はたんなる感覚物ではなく、
   普遍と真理の形式にしたがう現実である。
   しかし、
(β)この普遍的な美は普遍の形式を保持するのではなく、
   普遍は内容であって、その形式は感覚的である。
ー それが美というもののありかたです。
  学問においては普遍的なものが普遍的な概念の形式を取りますが、
  美的なものは現実の事物やことばのイメージとなってあらわれる。

物が精神をまとってあらわれるのです。

だから、
美の本性、
本質、
内容は、
理性によってしか認識されない、
ー その内容は哲学の内容とおなじもので、
  美はその本質からして理性によってしか判断できないのです。

美は物としてあらわれるが、
それを認識するのはあくまで理性です。
だからこそプラトンは、
美が精神をまとって真に精神的なものとしてあらわれるのは、
理性的な認識のはたらいているときだと考えたのです。

長谷川宏ヘーゲル哲学史講義・中” 河出書房新社1994年2月20日再版)