アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

ヘーゲル”哲学史講義” A.プラトンの哲学  二.自然哲学 ”三項関係における中間項の分裂が四元素を生む”

さて、
プラトンはつづけます。

目に見えるものの領域には、
両極をなすものとして、
土と火、
かたいものと生物があった。

「かたいものは二つの中間項を必要とし
(これは重要な思想です。
 自然のなかでは三つではなく四つの元素があって、
 中間項も二つとなるのです)

 広さばかりでなく深さももつがゆえに
(点が線およぶ面を経て立体にまで合体されるとすると、
 自然は本来四次元となります)、

 神は火と土とのあいだに空気と水をおいた。
(これも論理的に深遠な定義です。
 中間項が両極との関係において不均衡なため、
 内部で二つに分裂しなければならないのです。)

 そしてそこでの比例関係は、 
 火と空気の比と空気と水の比と水と土の比がひとしくなる。」

中項が分裂するのが見られ、
ここに生じた四という数が自然のなかでは根本をなします。

理性的な推論では三項の関係にすぎないものが、
自然において四項となるのは、
自然そのものに原因があるので、
というのも、
思想のうちでは直接に一つであるものが自然のなかでは二つに分裂するからです。

中項に対立が生じて二重になる。

思想においては、
第一が父なる神、
第二が媒介者たる子なる神、
第三が聖霊で、
中間項は一つですが、
自然にあっては対立する中間項が二つにわかれ、
全体として四という数字があらわれる。

神を考える際にも四という数字が生じるので、
神を世界に応用すると、
中間項として自然と実在の神とが、
 ー つまり、
   自然そのものと、
   自然が聖霊へとかえっていく途上にある実在の精神とが ー
あって、
かえりつくと聖霊になる。

この生命ある過程
 ー 区別と区別の統一の過程 ー
が神の生きた姿です。

プラトンのことばはつづきます。

「四つの元素の統一によって目に見え、
 手に触れる世界が作られた。

 神が世界に四元素を
(四つのちがいには意味がありませんが)
 万遍なくあたえることによって、
 世界は完全なもの、
 老衰や病気のないものとなった。

 なぜなら、
 老衰や病気は元素が外から身体をおそうところからしか生じないのだから。

 そんなことは生じようがない。

 世界は四つの元素を完全にそなえていて、
 外からなにかがはいる余地はないのだから。

 世界の形は、
 もっとも完全な形である球形で、
 それは他の全ての形をうちにふくんでいる
 (パルメニデスピタゴラス派にも似た考えがあります)。

 また、
 外側は完全になめらかである。

 そのそとにはなにもなく、
 他とのちがいもなく、
 また、
 外部に通じる器官を必要としないのだから。」

なんらかの対象に、
それとはちがう外部が存在するとき、
対象は有限だとされます。

理念のうちにも、
それを他から区別する定義や限界やちがいがあるけれども、
しかし、
それらは一なるもののうちに解消され、
そこにふくまれ維持される。

したがってそれは、
有限をうみだすようなちがいではなく、
ちがいとしては破棄されてもいる。
つまり、
有限が無限自身のうちにある、

 ー これは偉大な思想です。

長谷川宏訳 ヘーゲル哲学史講義・中” 河出書房新社 1994年2月20日再版)

 ☆

霊的な世界の原理が三であり、
その中間項が第一項と第三項間に形成される両極性の影響によって分裂することで、
四が支配する自然界=物質的世界が生ずる。

世界の公理。

一、
三、
二、
四。